2012年12月30日
第34回大会で5区の山上りを走る田中豊さん(右)。左側を走っているのは当時は認められていた伴走者=田中さん提供
日体大時代の田中豊さん。長距離選手にしてはがっしりした上半身は機械体操で鍛えたという=本人提供
「“箱根”は特別な大会」と話す田中豊さん
大正9年に始まり「箱根駅伝」の呼び名で知られる東京箱根間往復大学駅伝競走。89回目を迎える伝統ある大会で、「赤穂出身で、おそらく唯一の出場選手」(赤穂市陸協)が田中豊さん(79)=神戸市垂水区=だ。
田中さんは尾崎生まれ。子どもの頃から走るのが速く、赤穂高定時制で中広の金井英敏さん(79)=元市議会議長=らと陸上部を結成した。日の出と同時に家業の塩田で働き、夕方から学校へ。授業を終えた午後9時過ぎから練習する日々を送った。県高校駅伝1区2位など好成績を残し、日本体育大学へ進んだ。
新入生記録会で走力を認められ、1年生ながら特待生に。掃除や洗濯といった寮での雑務は免除となり、トレーニングに集中できた。高校時代の練習は月明かりの夜道。「太陽が昇っている時間に走れることが、そりゃうれしくて。トイレで一人泣きました」と当時の感激を振り返る。
箱根駅伝は1年から4年まで4年連続でメンバー入り。初出走した32回大会はアンカーの10区、翌年は7区を走った。3年生のときは最大の難所とされる“山上り”の5区を任され、チーム歴代最高順位を更新する総合4位に貢献。10区を志願した最終学年は区間賞候補に挙げられるほど調子が良かったが、前日に40度の高熱を出し、やむなく控え選手と交代した。
田中さんは大学卒業後、高校教諭として明石商に勤務し、国体1500メートルで優勝。その健脚ぶりに注目した神戸製鋼に引き抜かれた。全日本実業団駅伝などでは、後に五輪メダリストとなる円谷幸吉、君原健二にも先着。29歳で引退した後は社員教育を専門に社業に専念した。
多くのレースを経験してきた田中さんにとって、「箱根は特別」だという。人でぎっしり埋まった有楽町の大歓声、真正面から吹き付けるみぞれに耐えた山上り。50年以上経った今も思い出は鮮明によみがえる。母校は今大会の予選会をトップで通過。田中さんが4年生のときに11回目だった箱根出場は一度も途切れることなく、今回で65大会連続65回目となる。
「10人ものランナーがコンディションを整えるのは本当に大変。まずは無事にタスキをつないでほしい」。箱根駅伝は1月2日と3日。今年も後輩たちの走りをテレビで温かく見守るつもりだ。
[ スポーツ ]
掲載紙面(PDF):
2013年1月1日(2021号)4面 (6,778,238byte)
コメント
テレビで見ました。日体大には何のゆかりもありませんが応援しました。おめでとうございます!田中さんも喜んでおられることでしょう。
投稿:日体大、優勝でしたね 2013年01月04日
それは相生出身の選手だと思います。
投稿:駅伝ファン2 2013年01月02日
同じ日体大で最近赤穂の選手が走ったと聞きましたが?
投稿:駅伝ファン 2013年01月02日
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