2013年12月12日
討ち入り翌日の風説が書かれた書簡
赤穂浪士の討ち入り直後に江戸市中で飛び交った風説を書き留めた書簡が滋賀県日野町の旧商家所蔵史料に見つかった。討ち入りを「潔いとの評判だ」と書いており、日付は「十二月十五日」。世間が浪士の忠義を好意的に受け止めていたことがうかがえる。
書簡は天地を二つ折りしてしたためた「折紙」で縦約20センチ、横約30センチ。判読した「近江日野商人館」の満田良順館長(67)によると、商いのため江戸に滞在していた近江日野商人が本宅へ宛てた約30通の中に含まれていた。
「昨夜の午前2時ごろ、浪士が太鼓を打ち鳴らし、火事だと騒いで門を開けた」「170〜180人くらいと聞いたが確かなことはわからない」「朝4時ごろ、上野殿をはじめ御息男の首を3つ持って内匠頭の墓所へ帰っていった。道で出会った人の話では、皆々が白装束だった」「死にものぐるいで戦い、門外にまで切り散らかされた者がいる」など生々しく記述。事実と異なる内容も含まれているものの、発生翌日の時点で事件のあらましが庶民にも伝わっていたことがわかる。
満田館長は「討ち入り事件の発生で騒然とする市中の様子を生き生きと伝えており貴重」とし、来年1月5日から30日まで書簡の画像を同館で公開する。Tel0748・52・0007。
[ 文化・歴史 ]
掲載紙面(PDF):
2013年12月14日(2066号)4面 (10,978,162byte)
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