2014年08月23日
昭和29年(1954)8月5日、真夏の太陽が照りつける午後2時の阪神甲子園球場。スコアボード上に掲揚された大会旗が南からの浜風に揺れている。水銀柱の目盛りは31度を超え、散水で湿り気を含んだばかりの内野の土をすぐに乾かせた。
89校が参加した第36回全国高等学校野球選手権大会の兵庫予選大会は大詰め。一つしかない県代表の座をかけた決戦の火ぶたが切って落とされようとしていた。当時は兵庫大会でも甲子園を使用しており、この年も西宮、神戸市民とあわせて3球場で熱戦を繰り広げ、準々決勝以降はすべてのゲームが甲子園で行われた。
一塁側は春の全国選抜大会に出場した滝川。別所毅彦、青田昇といったプロで活躍する選手を輩出して「名門」としての地位を築きつつあり、今大会でも優勝候補の一角を占めていた。
相対する三塁側の赤穂は播州勢として初めて決勝に進出した。部員数はベンチ入り登録制限の14人に満たない13人。同校野球部OBで、その春に関学大を卒業したばかりの若き闘将、黒田治夫監督がチームを率いた。
当日の神戸新聞は「好守に優る滝川に有利」の見出しで「順当に見て四分六分で滝川のものか」と予想している。とはいえ、赤高も今大会5つの勝ち星を重ね、勢いでは引けをとらない。「優勝候補」対「播州の新鋭」という構図の一戦は両チームとも準決勝戦と同じオーダーが発表された。
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[ 赤高ナイン熱戦譜 ]
掲載紙面(PDF):
2014年8月23日(2100号)3面 (8,451,695byte)
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