2014年08月28日
赤穂民報の初代編集発行人、広島三郎氏
赤穂民報の初代編集発行人、広島三郎氏が8月28日午後1時35分、喉頭がんのため、神戸市内の自宅で死去した。84歳だった。
広島氏は昭和5年、御崎生まれ。国民学校を卒業して戦時下の同20年、志願して15歳で少年航空兵となったが出征前に終戦を迎えた。映写技師、広告代理店営業などの仕事を経て、「赤穂タイムス」で新聞記者として駆け出し。38歳で独立して「赤穂民報」を創刊した。
「市民と直結し、民衆の声を盛り込み、報道し、市民のためにあるべき新聞」を標榜。昨年3月末まで44年4カ月間、代表兼編集発行人を務めた。
通夜は29日午後6時、告別式は30日午前10時半から、いずれも砂子の「あこう典礼館花みずき」(Tel48・8661)。喪主は長男・秀紀氏。
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掲載紙面(PDF):
2014年8月30日(2101号)1面 (11,078,016byte)
コメント
15歳で志願。もう少し、戦争が長引いていたら確実に戦死されていたと思います。当時の少年航空兵の方々も鬼籍に入られた方が多いと思いますが、
まだ健在の方も市内におられると思います。追悼の為に経験者の感想・意見が聴きたいものです。
投稿:釈 万風 2014年09月01日
父よりいつも聞いていました。広島さんの正義感・義理人情・暖かさ・・・。若輩者の私にもいつも声をかけてくれました。そして、祖父の昔話を聞かせて頂いた事もありました。寂しくなりますが、教えて頂いた事を胸に、これからは我々の世代が頑張っていかねばなりません。赤穂のまちのために。ありがとうございました。
投稿:上杉謙信 2014年08月30日
数年間の短いつきあいでありましたが、本当にお世話になりました。求心力と包容力を兼ね備えた人でした。ご冥福を心よりお祈りしております。
投稿:神戸市西村 2014年08月29日
昔、当時の上司に紹介して頂きお世話になりました。
若く未熟な者にでも 決して偉ぶらずいつも暖かく
「頑張ってるか?」「頑張ってるな。」とお声掛けいた
だきました 年齢を超えて自然に接していただいた
お人柄をいまも懐かしく思い出すとともに 自分も
そうありたいと思います。
本当にお世話になりました。 ご冥福を心より
お祈り申し上げます。
投稿:お世話になった当時 青年 2014年08月29日
本当にいろいろお世話になりました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
投稿:宮崎 剛 2014年08月28日
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
投稿:松井 2014年08月28日
長い間、お疲れ様でした。
ゆっくりとお休みくださいませ。
投稿:くらのすけ 2014年08月28日
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