2014年08月30日
▼「世の悪に対しては敢然と戦い、町の片隅に小さく咲いた善意の花は広く世に出す」。赤穂民報の初代編集発行人、広島三郎が「創刊のことば」につづった一文である。
▼「五万の読者が味方」というのが口癖だった。読者の支持を拠り所に、筆圧の強いくせ字を原稿用紙に彫り刻むように書きつけた。
▼亡くなる4日前、震える手で鉛筆を握って書いた言葉は「みんなに世話になった。ありがとう」。これが絶筆となった。
[ コラム「陣太鼓」 ]
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掲載紙面(PDF):
2014年8月30日(2101号)1面 (11,078,016byte)
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