2014年09月06日
昭和29年7月18日、阪神甲子園球場で行われた第36回兵庫予選大会の開会式=木村國勇氏提供
当時の高校野球界において兵庫は全国トップクラスのレベルを誇っていた。2年前の昭和27年夏、芦屋が全国制覇。その翌春のセンバツは洲本が優勝し、兵庫勢が夏春連覇を飾った。「兵庫を制するものは全国を制す」と言われていた。
そして迎えた29年夏の兵庫大会。後に阪神タイガースのエースとなる村山を擁する住友工、県下一の剛速球投手との呼び声高い南野の兵庫工、夏の兵庫大会4連覇がかかる芦屋のほか、好投手を持つ鳴尾、加古川東、県兵庫といった各校が滝川と並んで優勝候補に挙げられた。実力伯仲、群雄割拠。「兵庫は全国最激戦区」との評価が定まっていた。
兵庫大会は7月18日に開幕。秋春とも西播大会を制して1回戦をシードされた赤高は、三原を3−1で破った市尼崎との対戦が決まった。
当時の県下の勢力図は阪神間に強豪校が集中し、播州勢は「蚊帳の外」という状況。市尼崎との一戦も、やはり苦しい展開が待ち受けていた。(文中敬称略)
[ 赤高ナイン熱戦譜 ]
掲載紙面(PDF):
2014年9月6日(2102号)3面 (13,020,641byte)
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