2014年09月13日
1年生ながらエースとしてチーム躍進の原動力となった石橋正敏=妻・増江さん提供
今から60年前の昭和29年夏。第36回全国高校野球選手権兵庫予選は大会6日目を迎え、1回戦シードの赤高は神戸市民球場での2回戦で市尼崎と対戦した。
監督の黒田治夫が先発投手として送り出したのは、その春に入部したばかりの1年生・石橋正敏だった。主戦だった3年の高尾暁(77)=中広=が肩と肘の故障で投げられなくなり、マウンドを託されたのだ。
石橋は赤穂東中時代もエース。播磨・但馬の大会でチームを優勝に導き、「播但に石橋あり」と言わしめた。大きく振りかぶって投げ込むダイナミックなフォーム。投げる瞬間の形相からは「打てるもんなら打ってみろ」という向こう意気の強さがほとばしっていたという。
球種は直球と小さく曲がるカーブの2種類のみ。大柄な割に手が小さく、しかも体が硬かったため、大きく曲がる変化球は投げることができなかった。中学時代の野球部監督、田淵欣一(83)=御崎=は投球の生命線と言うべき「アウトローのストレート」の大切さを徹底して教え込んだ。
「直球がね、バッターの手元でピュっと伸びる。それに、外角低めのコントロールが抜群やった」と語るのは高校で石橋をリードした木村國勇(76)=宮前町=。コーナーを丁寧に突く制球力、打者の打ち気をそらす駆け引きにも長けていた。
しかし、さすがに高校野球は甘くない。市尼崎戦の初回、石橋は先頭打者にいきなり二塁打を浴びた=文中敬称略=。
[ 赤高ナイン熱戦譜 ]
掲載紙面(PDF):
2014年9月13日(2103号)3面 (10,402,606byte)
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