2014年11月01日
赤穂市内の中学校で起きた生徒指導中の体罰。本紙ホームページの読者投稿欄には10月29日までに110件を超えるコメントが寄せられ、関心の高さがうかがえた。気になったのは、今回の事案を「教育的指導の一環」として容認あるいは是認する意見が多かったことだ。
体罰は、受けた側に身体的、精神的なダメージを残す恐れがある。仮に、その場はうまくいったとしても、その子はやがて「体罰は悪くない。なぜなら、私もたたかれて育ったから」と暴力を肯定する大人になるかもしれない。体罰の連鎖は、いつかは取り返しのつかない悲劇を生む。正当防衛や緊急避難的な場合を除いて暴力は許されない。
今回の事案では、体育の授業中にガムをかんでいて臨時講師にたたかれた生徒は放課後に担任から諭され、ガムを口にしていたこと、注意を素直にきかなかったことを、臨時講師に謝ったという。
そもそも、体罰を受けても生徒が先生についていくほどの信頼関係が両者の間にあるのなら、手を上げなくても諭すことはできるのではないか。指導する側の真剣さを体罰以外の方法で生徒に伝えることが必要だ。それには多大な時間と労力を要するが、おそらく、その過程こそが師弟間の信頼関係を生み出すのだと思う。現場の先生たちがじっくり取り組むことのできる環境を整えることに市教委と管理職はもっと配慮すべきだし、保護者は家庭でのしつけを放棄してはならない。
学校関係者によると、一部の市内中学校では、かねてより生徒がガムやあめを学校に持ち込むことが常態化していたという。指導する側に「タバコを吸うよりは…」と黙認する風潮はなかったか。ある先生は注意するけれど別の先生は注意しない、ある生徒には注意するけれど別の生徒には注意しない、というような不公平があっては生徒も指導を素直に聞き入れないだろう。
授業は先生と生徒の双方で成り立つものだ。どういう環境で授業を受けたいのか、先生に任せっぱなしにせず、生徒からも声を上げて自浄改革に取り組んでほしい。折しも市内5校の生徒会による「生徒交流会」が今年度から活動を開始している。今こそ「やるときはやる」という中学生の底力を見せてほしい。
[ 社説 ]
関連サイト:
掲載紙面(PDF):
2014年11月1日(2110号)1面 (11,736,104byte)
コメント
中学生の底力
それをつぶすのは中学の先生。
それを知ってる子どもは私立県立中学へ逃げる。
投稿:保護者 2014年11月20日
すぐ対処、すぐ公表、何故出来ないでしょうか?だらだらし過ぎ!
投稿:赤穂の教育委員会 2014年11月10日
>八先生みたいな先生が、多くなれば。
これ先生の問題ではなく、生徒と親の問題だから。。。
改善するのは無理でしょ
投稿:ダメな親 2014年11月10日
金八先生みたいな先生が、多くなれば。
投稿:金八先生 2014年11月09日
保護者会に当の先生が出席していなかったって、保護者会開く意味もわからないのに出席する必要ないです。先生を処分することだけがいいわけではないです。 誕生会開いたって、微笑ましく感じませんか? 反省して、落ち込んでいる先生を見て励そうとした生徒、同僚たち。それこそが教育ではないですか? 今回の事でみんながどう考えどうしたらいいか考える、机上の教育ではないこの事が大切ではないですか?
投稿:おばちゃん 2014年11月07日
ガム噛むような人は、同じ教室に入れてほしくない。
先生が暴力をふるってでも指導できないのなら、せめて隔離してほしい。
勉強の邪魔だし、教室の空気が悪くなる。こういう生徒のせいでいじめが増えるというのに・・・・。
きれいごとばかり言っても意味がない。
問題はこういう生徒が平等に教室にいて他の生徒の邪魔をしているという現実と、こういう生徒は暴力をふるえないことを理解して先生を煽り、先生が指導できない状況だということ。
罪もない生徒が一番割をくっていて、ダメな生徒やダメな親が一番得している。
投稿:同級生がつらい 2014年11月03日
正当防衛や危険回避以外の、暴力を背景にした現状変更はこの国の法律では許さないのだ。
投稿:中学園児 2014年11月03日
「民報さんへ」さんへ
>夏休みの部活帰りに「全員で試合に出るンやから、調子に乗ったりふざけたりして、部活中止になるようなことするなよ」「ケガだけはするなよ」って互いに言い合っている子たちもいるんですよ。
そういった生徒同士のコミュニケーションを部活内に加えて、クラス内でも広げていくことが、よりよい学校環境いつながると思っています。
投稿:赤穂民報 2014年11月02日
先の記事、コメント等を拝見し、読者は体罰を「教育的指導の一環」として容認しているわけではないと思います。
体罰は決して許してはいけません。追放大会等うたっている赤穂市ならなおのこと。
しかし、皆さんが問いたいのは、体罰として先生はやりすぎているかもしれません。でも、事の発端、サイを投げたのは誰や?を問いたいのだと思います。自分が悪いことをしていて、叱られすぎたからクレーム!?
たとえば自分が冗談で口だけのケンカを仕掛けていったら、相手が本気で怒って暴力をふるわれた。
相手は暴力をふるったから、たくさんの人に叱られて、罪になってしまった・・と同じことですよね。
本当に暴力をふるった相手だけが悪いのでしょうか?
学校にガムやアメを持ち込む風潮はなかったか?ともありますが、そんな風潮があったからってなんですか?
注意する先生、しない先生がいて、注意される子、されない子がいる。だからと言ってお菓子を持ち込み、授業中に食べる理由になりますか?普通の中学生は、そんなもの持ち込みません。授業中に食べません。
私や私の周りにいる親は「ほかの子も持ってきてる」と子どもが言っても、「それでもアカン」と言いますよ。学校に持っていってもいいものと悪いものの認識は、小学生の頃からありますよ。
中学生の底力・・何をおっしゃっているのやら。
この社説は、普通にまじめに頑張っている中学生を、この該当中学生と同じように思われているようで非常に残念です。というより悔しいです。夏休みの部活帰りに「全員で試合に出るンやから、調子に乗ったりふざけたりして、部活中止になるようなことするなよ」「ケガだけはするなよ」って互いに言い合っている子たちもいるんですよ。
投稿:民報さんへ 2014年11月01日
>>今回の事案では、体育の授業中にガムをかんでいて臨時講師にたたかれた生徒は放課後に担任から諭され、ガムを口にしていたこと、注意を素直にきかなかったことを、臨時講師に謝ったという。
なんでここで終わらないの?
親が何でもかんでも苦情つけるから悪いんだよ。
文句言う暇あれば家庭でしっかり躾しろよ。
投稿:親が悪い 2014年11月01日
まだ、27才の先生でしたよね。責任あるベテランの先生なら、遠慮したのではないでしょうか。
投稿:どうかしてるよ2 2014年11月01日
この問題と5.15事件を一緒に論じるな。
ガムを噛む事と体罰のどちらが「世直し」で、「叩かれた生徒」と「叩いた先生」のどちらが「海軍将校」かわからない。
投稿:高橋是清 2014年11月01日
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投稿:赤穂民報 2014年11月01日
誕生日の件ですが、先生が軽率な行動をとったわけではありません。元気をだしてもらおうと、クラスの子供たちが自主的にサプライズで行ったのです。我が子のクラスですが、この様な人を思いやる気持ちのあるこの子供たちを私は誇りに思います。
投稿:上杉謙信 2014年11月01日
保護者会に、結局体罰をした先生は、姿をあらわさなかった。校長だけがひたすら謝っていました。この先生は、保護者会の次の日が誕生日で、生徒が、ケーキを学校に持参し、放課後にパーティをしたそうです。保護者会にも出てこられなかったのに、軽率な行動をとらない方がよいのでわ?
校長は、処分を考えています。と、保護者会で言っていたが、その処分の内容を、ぜひ!民報に載せていただきたいと思います。宜しくお願いします。
投稿:どうかしてるよ 2014年11月01日
何を言おうがまずは家庭から。
家庭での基本あってこその学校での集団生活。
先生たちは何百人もの思春期を相手をしながら、
授業、事務作業、対社会、対保護者。
それが毎日、土日も部活。
学校に全てを押し付けている現実は否めません。
まずは家庭から。
投稿:現実は 2014年11月01日
理想を語るのは簡単。
じゃあもっと教師に権限を与えて警察と連携させるのが一番じゃない?
問題児は隔離これで学級崩壊等の問題は解決するはず。
でも、そうしだしたらその子の人権がとか言い出すアホがでてくる。
結局物事はすべて連鎖する
投稿:うっちー 2014年11月01日
「体罰」は、民主的な社会の人間や個人の尊重に反し、議論や主張を封じ込め、暴力・権力で一気に問題を解決したかの形をとろうするもので、5.15事件で犬飼毅が「話せば分かる」と言って銃弾に倒れたことは有名です。
しかし、「話せば分かる」には、対立する相手を知るということができなければいけないでしょう。
古い時代の教師は校区で児童、生徒と共に生活し、親、兄弟も教えたということがあり、それなりに地域で”先生”として尊敬され、親しまれていたようです。
勉強、勉強で、テストの成績が優秀であった人が教師になり、3年.5年、9年で転勤したり、学校から遠く離れた所から通勤する先生も珍しくない現状で、どの程度児童、生徒の生活や成長が把握できるでしょうか。
教師は学習面での専門職ではありますが、医師のように検査、手術、投薬、リハビリのような処方が確立しているとは言い難く、特に生活や行動などの問題に対応するには、あまりにも非力で、体罰はもちろん大声を出すことも、必要だと信じても強制的に何かをさせることも禁じられることが多いようです。
一方、児童、生徒の親は、高学歴の人も多くなっているい上に、「楽しくなければ学校じゃない。面白くなければ授業じゃない」という、どこかの専門学校のTVのCMのような社会環境で、学校や教師の指導のあり方を軽視する風潮があるように感じます。
加えて、中学、高校生は、あふれる情報の時代の中で大きく変化し、素直で、まじめな発達途上の子どもである反面、大人以上に”おとな”になっている現実も無視できません。
みんなの前であえて教師に反抗したり、駅の改札口の正面で制服で喫煙をすることが”勇気”だと言った高校生がいるという話を聞いたことがあります。
先生方も、いつもマイカー通勤じゃなく、児童、生徒と同じ道を学校に通って、子どもに声をかけ、学校を離れた児童、生徒の姿を見てはどうでしょう。
「いじめ撲滅」などのかけ声だけではなく、「生徒の底力」は、内容のある充実した生活を見出し、努力することを促すことを通して発揮されると思います。
そのための先生方のエネルギーと実践力を期待します。
投稿:「話せば分かる」には 2014年11月01日
多くのコメントを完全否定する理由としては、少し美し過ぎる理想・理念に残念と言いますか
本当は記事にできない多くの現実を知っているはずなのに…と、何ともはや
投稿:内海 2014年11月01日
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