2014年11月22日
当時のやっこ旅館=同旅館提供。写っているのは赤高の選手ではありません
3回戦で灘に勝った赤高は翌日の7月30日に4回戦を戦うことになっていたが、千島列島から華南まで伸びた前線に南からの温かい風が流れ込み、日本列島はすっぽり雨雲に覆われた。
試合会場の甲子園も雨。その次の日も前線は居座り、大会は2日続けて順延となった。
赤高はプロ野球・大阪タイガース(現阪神)の定宿で、甲子園球場まで300メートル足らずの「やっこ旅館」を宿舎としていた。雨天練習場のない当時は、せいぜい旅館の軒下で素振りや軽いキャッチボールをする程度。時間を持て余している選手たちを見かねて、監督の黒田は自由行動を許可した。
「気晴らしに大阪へ行こうや」
3年の塩崎が補欠の1年生を引率し、5〜6人で最寄りの阪神電鉄甲子園駅へ向かった。ところが、一行は1時間もしないうちに浮かない顔をして戻ってきた。
「なんぼホームで待っとっても、『梅田行き』ばっかりで『大阪行き』が一本も来んかった」
旅館の人から「梅田」が「大阪」であることを教えられ、大笑いした。十分な休息を取ってリラックスした赤高ナイン。彼らを4回戦で待ち受けていたのは、とてつもない強敵だった。(文中敬称略)
[ 赤高ナイン熱戦譜 ]
掲載紙面(PDF):
2014年11月22日(2112号)4面 (12,122,450byte)
コメント
※コメントは投稿内容を赤穂民報社において確認の上、表示します。投稿ルールを遵守できる方のみご投稿ください。