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赤高ナイン熱戦譜(20)遠征費が底をつく

 2015年06月06日 
OB会長として部を支援した寺田吉郎=正木孝樹さん提供
 準々決勝に勝利したことで遠征が6泊目となった赤高ナイン。当初の日程では決勝戦まで勝ち残っても5泊で済むはずだったが、2日連続の雨天中止で滞在日数が延びた。OB会が市内の会社や商店から集めて工面した遠征費が、ついに底をついた。
 当時、経済的に苦しい出場校は甲子園球場のスタンド下にある狭苦しい部屋で寝泊まりしていた。「わしらも今夜はあそこで寝なあかんのかな」と選手たちは覚悟したが、OB会長の寺田吉郎がそれをとどめた。寺田はハイヤーで赤穂へ戻り、金を詰めたかばんを持って旅館へとんぼ返り。おかげで、選手たちは“スタンド行き”を免れた。
 寺田は日頃から野球部の練習に顔を出してノックをつけ、部員たちを食堂に連れて行って腹いっぱい食べさせたり、自宅に招いてすき焼きをごちそうしたりした。当時小学生だった長女の啓子さん(69)=塩屋=は「私たち家族は普通のごはん。野球部のお兄ちゃんたちがうらやましかったですよ」と苦笑する。
 啓子さんによれば、寺田は結婚した妻に「野球のチームができるくらい子どもを産んでくれよ」と言っていたという。3人の子宝に恵まれたが、全員女の子だった。寺田は後輩部員たちを自分の息子のように思って接していたのではないだろうか。
 寺田は旧制赤穂中の6回生。しかし、卒業アルバムの部活動紹介に野球部の写真はない。部費がついたとはいえ、公式な部活動には認められていなかったのかも知れない。早稲田大学でも野球部に入ったが在学中に太平洋戦争が始まり、心の底からプレーを楽しむことは出来なかった。
 寺田は自身が青春時代に味わえなかった野球の楽しさを“息子たち”には思う存分、与えてやりたかったのだろう。(文中敬称略)
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掲載紙面(PDF):
2015年6月6日(2138号) 3面 (13,655,056byte)
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