戦争体験重なる偶然 70年経て対面
2015年11月07日
戦時中に同じ船で戦争被害に遭っていた坂元茂昭さん(左)と伊藤暁さん
2人は本紙の記事をきっかけにこのほど対面。ともにくぐり抜けた当時の修羅場を振り返り、互いの健在を喜び合った。
明石生まれの伊藤さんは国民学校を卒業した昭和19年3月、14歳で芦屋海員養成所に入所。わずか3カ月ほどの訓練を受けただけで東亜海運に入社し、大阪と上海を結ぶ輸送船に機関員見習いとして乗船した。
伊藤さんは戦時中、何度も命の危険にさらされた。初航海は東シナ海へ出て2日目に乗っていた船が米潜水艦の攻撃で沈没。次に乗った安興丸は福岡・三井から大阪へ石炭を運ぶ途中に米軍の機雷に当たって沈んだ。続いて、昭和20年6月に長崎・香焼島(こうやぎしま)の川南造船所で錦江丸に乗り込んだが、翌月の空襲で撃沈。会社の命令で長崎市内の旅館に待機中、原爆に被爆した。
坂元さんと伊藤さんは当時、同じ海運会社で勤務。錦江丸だけでなく安興丸にも同乗していたことが判明した。2人は「まさか同じ船に乗っていた人が赤穂におられたとは」と異口同音に驚き、「お互いよく生き延びたもんやなあ」と感慨に浸った。
「自分と同じ船に乗っていて爆撃や機雷で命を落とした人たち、原爆で無残に亡くなった人たちの姿が今も目に焼き付いています」と伊藤さん。今でもサイレンの音を聞くと空襲警報を思い出し、気持ちが不安になるという。「戦争は二度としてはいけない」と語る言葉に重みがあった。
<前の記事 |
関連サイト:
【関連記事】戦後七十年・語り継ぐ(6)〜長崎で九死に一生
掲載紙面(PDF):
2015年11月7日(2160号) 1面 (11,281,861byte)
(PDFファイルを閲覧するにはこちらからAdobe Readerを入手してください。)
コメントを書く