忠臣蔵のふるさと・播州赤穂の地域紙「赤穂民報」のニュースサイト
文字の大きさ

赤穂民報


  1. トップページ
  2. 文化・歴史
  3. 記事詳細

自筆の著書や手紙も「山鹿素行」展

 2016年11月26日 
自筆の書状などが展示されている特別展「山鹿素行」
 江戸時代前期を代表する兵学者で赤穂藩とも関わりの深かった山鹿素行(やまが・そこう、1622―85)の直筆著書や手紙、資料などを集めた特別展が上仮屋の赤穂市立歴史博物館(冨永恵一館長)で開かれている。
 素行は若くして儒学、甲州流軍学、国学など幅広い教養を修め、31歳から8年間、赤穂藩主・浅野長直に兵法師範として召し抱えられた。赤穂藩を辞した後、著書の内容が朱子学批判と幕府にとがめられ、1666年(寛文6)に赤穂へ配流。赦免されて江戸に戻るまでの約9年間を赤穂で過ごした。
 特別展は、素行が赤穂に配流されてから今年で350年になるのに合わせて企画。配流の原因となった『聖教要録』、赤穂滞在中に著した『配所残筆』などの著書をはじめ関連資料65点を収集展示している。
 三代藩主・長矩と弟大学が素行に入門したときの誓約書、赤穂義士の一人の大石瀬左衛門が素行の著書の内容を書き記した手控えは、藩主と藩士らが素行の兵法や武士の心構えを学んだことをうかがわせる。
 赤穂藩家老の大石頼母助に宛てた意見書には、足軽を百人増員して弓や鉄砲の鍛錬をさせるように提案する記述がある。藩財政を倹約して軍備にあてるべきと進言しており、実戦と平時の備えを重視した素行の方針が表れている。
 幕末の志士、吉田松陰が山鹿流に入門する際に提出した血判付きの自筆起請文、明治の軍人、乃木希典が素行の墓前で読み上げた祭文は、素行の没後もその思想が受け継がれていったことを示す資料として興味深い。
 素行が書き残した年譜によれば、赦免されて江戸に戻ってからも頻繁に赤穂藩邸を訪れ、長矩と交流。他の大名家へ出掛けたり、来客も多かったことが記録されている。木曽こころ学芸員は「思想的な主張は曲げない意思の強さがあった一方、人当たりの良い穏やかな人柄だったのでは。展示を通して人物像に思いをはせてもらえれば」と話している。
 12月14日(水)まで午前9時〜午後5時。水曜休館(12月14日は開館)。入館料300円(小・中学生150円)。特別展の図録を一部1100円で販売している。Tel43・4600。
<前の記事


掲載紙面(PDF):
2016年11月26日(2208号) 1面 (11,031,633byte)
 (PDFファイルを閲覧するにはこちらからAdobe Readerを入手してください。)


コメントを書く

お名前 (必須。ペンネーム可):

メールアドレス (任意入力 表示されません):

内容 (必須入力):

※コメントは投稿内容を赤穂民報社において確認の上、表示します。
投稿ルールを遵守できる方のみご投稿ください。
今週のイベント・催し
23
(月)
 
24
(火)
25
(水)
26
(木)
27
(金)
 
28
(土)
 
29
(日)

最新のコメント

  • 《市民病院医療事故多発》科長が治療実績の不正付け替え提案←t(11/24)
  • JR播州赤穂駅「みどりの窓口」11月末で廃止←太郎(11/23)
  • 「今も昔もボール追う子の目は同じ」尾崎野球少年団50周年←元同級生39(11/23)

各種お申込み

以下より各お申込み、資料請求フォームにリンクしています。ご活用下さい。

スマホサイトQRコード

スマホ用URLをメールでお知らせ!
e-mail(半角入力)


ドメイン指定受信をされている方は「@ako-minpo.jp」を指定してください。

閉じる
中村唯心堂 中道工務店 矢野防水工業 赤穂メモリアルホール 野中砂子土地区画整理組合 花岳寺 兵庫県警
閉じる
中村唯心堂 中道工務店 矢野防水工業 赤穂メモリアルホール 野中砂子土地区画整理組合 花岳寺 兵庫県警