子どもたちの登校見守り32年 塩屋の木村音彦さん
2025年03月22日
登校中の子どもたちを事故や犯罪から守ろうと、塩屋小学校の通学路交差点で30年以上にわたって朝の立ち番を行ってきた塩屋の木村音彦さん(90)が今年度限りで活動を終了することになった。長年の善行に対し周囲から感謝とねぎらいの声が寄せられている。

木村さんが見守り活動のボランティアを始めたのは会社員だった58歳の頃。不審者に対する不安が世の中で高まる中、「子どもたちに万一のことがあってはいけない」と思い、多くの小学生や中学生が通学する磯浜橋北詰め交差点に立ち始めた。現場は信号のない交差点。2016年に歩行者用の橋梁が増設されるまでは、狭い橋を渡る子どもたちの真横を車がすり抜けるように走り、いつ事故が起きてもおかしくない状況だったという。
午前7時半までには現場に着き、「おはよう」と声を掛けて子どもたちの登校を見届けてから出勤する毎日。当時はPTAによる交通立ち番はまだ行われてなく、「周りから『変わった人』と見られていた」(木村さん)と笑う。2011年から17年まで市自治会連合会長を務めるなど公私とも多忙な日々が続いた中、「子どもの安全を守りたいという思いだけ。やめようと思ったことはまったくない」と振り返る。
「あるとき、もうすぐ卒業する子どもが『おっちゃん、長い間ありがとう』と言うてくれたことがあってね。そのときは感激して涙がポロポロっと落ちましたわ」と木村さん。見守り活動を始めて以来、現場の交差点で子どもが被害に遭う事故や事件が一度も起きなかったことも誇りだ。
「身体は元気ですけど、家族から『もう90なんやから』と言われてね」と木村さん。今学期の修了式がある3月24日が最後の活動日となる。今後は朝の時間は自身の健康維持のウオーキングに充てるつもりだ。「長年の日課がなくなるさびしさもあるけれど、これからは散歩しながら子どもたちの安全と成長を見守りたい」と引き続き子どもたちに温かいまなざしを向ける。

30年以上にわたり通学路での見守り活動を行ってきた木村音彦さん
木村さんが見守り活動のボランティアを始めたのは会社員だった58歳の頃。不審者に対する不安が世の中で高まる中、「子どもたちに万一のことがあってはいけない」と思い、多くの小学生や中学生が通学する磯浜橋北詰め交差点に立ち始めた。現場は信号のない交差点。2016年に歩行者用の橋梁が増設されるまでは、狭い橋を渡る子どもたちの真横を車がすり抜けるように走り、いつ事故が起きてもおかしくない状況だったという。
午前7時半までには現場に着き、「おはよう」と声を掛けて子どもたちの登校を見届けてから出勤する毎日。当時はPTAによる交通立ち番はまだ行われてなく、「周りから『変わった人』と見られていた」(木村さん)と笑う。2011年から17年まで市自治会連合会長を務めるなど公私とも多忙な日々が続いた中、「子どもの安全を守りたいという思いだけ。やめようと思ったことはまったくない」と振り返る。
「あるとき、もうすぐ卒業する子どもが『おっちゃん、長い間ありがとう』と言うてくれたことがあってね。そのときは感激して涙がポロポロっと落ちましたわ」と木村さん。見守り活動を始めて以来、現場の交差点で子どもが被害に遭う事故や事件が一度も起きなかったことも誇りだ。
「身体は元気ですけど、家族から『もう90なんやから』と言われてね」と木村さん。今学期の修了式がある3月24日が最後の活動日となる。今後は朝の時間は自身の健康維持のウオーキングに充てるつもりだ。「長年の日課がなくなるさびしさもあるけれど、これからは散歩しながら子どもたちの安全と成長を見守りたい」と引き続き子どもたちに温かいまなざしを向ける。

30年以上にわたり通学路での見守り活動を行ってきた木村音彦さん
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コメント
懐かしいですね。
確か写真館を経営されていました。
「70年近く前の事」ですが、
当時の塩屋部落は小さくて
五つの班しかありませんでした。
でも、それぞれの班に、
子供がたくさんいて
班ごとに子供会がありました。
「タツノのおっちゃん」は
私の班ではなかったですが
合同子供会でお世話になりました。
今も思い出すことがありますよ。
「タツノのおっちゃん」
天国でも子供の世話されているかな?
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投稿:元・塩屋育ちの後期高齢者 2025年03月23日おっちゃんの「おはよう、いってらっしゃい」を毎朝聞いて
寒い中、暑い中ずっと見守ってくれました。
車が通ると「危ないからここで少し待ってよー」っと言い、「学校は楽しいかぁ?」と世間話もいっぱいしました。
子供達の見守りもそうですが元気な姿を今でも見せていただいたのが、ありがたく思います。
長い間、本当にお世話になりました。
お疲れ様でした。
たまには散歩がてら子供達の顔を見に来てください。
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投稿:塩屋のおかあちゃん 2025年03月23日
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投稿:緑のおっちゃん 2025年03月23日50年以上、赤穂を離れていましたから
全くの初耳です。
でも、木村乙彦さんのお名前は
連合自治会長を務めていたぐらいですから
地元では、まず知らない人はいないでしょう。
そのような方が、、、、
-----------
議員や、自治会長で
わしがやった、と誇示する人の多い中、
清々しい、素晴らしい方だと思います。
(小学生のころ、
子供会のお世話をしてくれた
当時の大人たち、
今でも懐かしく思い出す、私。
木村さんに見守ってもらった子らの心には、
感謝の気持ちとともに
いつまでも記憶に残ることでしょう)
長年、ありがとうございました。
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投稿:知らなかった 元・塩屋育ち 2025年03月23日木村様、本当に長い間お疲れ様でした。ありがとうございました。
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投稿:感謝 2025年03月22日まさかおっちゃんを赤穂から離れた場所で見られるとは思いもしませんでした。
当時、東地区でお世話になった者ですが、東地区の子供から「おっちゃん」の愛称で皆んなに好かれていました。
どんな天気でも旗を持って交通立番してくれて、本当にありがとうございました。
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投稿:お疲れ様でした 2025年03月22日長年、地域のために尽くしてくださりありがとうございました。
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投稿:ありがとう 2025年03月22日今でこそ自治会や子ども会での立ち当番は見られますが、当番表があったりと義務感が満載です。この方のように自己啓発でされている方はまだまだ少ないでしょう。この様な活動ができる人を尊敬します。
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0
投稿:素晴らしい 2025年03月22日コメントを書く