失明のショック乗り越え今を生きる
2010年04月24日
かつての部下と工場訪問のスケジュールを打ち合わせる三宅秀和さん(右)
5人の子に恵まれ、会社でも働き盛りだった三宅さんは47歳のとき、糖尿病網膜症で失明した。その年の1月に神戸市内の病院で治療を受けるはずが受診前日に阪神淡路大震災が発生。手術に必要な顕微鏡が壊れ、病院は被災者の受け入れで混乱した。半年後にようやく手術を受けたが病状が進行しており、視力が戻ることはなかった。手術の3日後にぼんやり見えた「妻の服の花柄模様」が最後に目にした光景となった。
愛着のある会社を去り、限られた人にしか会わず、ほとんど家の外に出ることのない暮らしが10年続いた。付けっぱなしのラジオが空しく響く部屋で引きこもる毎日。「声質に癒される」とファンになった女性アナウンサーの番組を聴くぐらいしか楽しみがなかった。
あるとき、そのアナウンサーが司会を務める川柳番組がスタート。最優秀賞の投稿者に直接かかってくる電話を目当てに、一度も経験のなかった五七五にチャレンジした。2年目に初めて念願の“生電話”を受け常連投句者に。頭に浮かんだ川柳をメモするために点字を覚え、投稿するためのパソコン操作も習得した。避けていた対人交流も自ずと復活し、持ち前の明るさが戻った。
協会には2年前に入会。そこで、福祉向上に尽くす人たちに出会った。
「障害の有無に関わらず、社会のため、人のためにがんばっている人がいる。自分は何を甘えとったんやろか−。こんな言い方、あかんかも知れんけど、ある意味“目が開いた”」
今回の工場訪問の調整係も「自分にできることで、誰かの役に立てるなら」と引き受け、かつて勤めた会社に電話をかけた。
同協会によると、視覚に何らかの障害がある人は赤穂市内に約200人。清水会長は「障害を自分自身が受け入れるまでには人それぞれの葛藤がある」と話す。
10年間悩んだ三宅さんも今では「よかったと思えることが一つでもあれば幸せちゃうか」と夫婦で語り合える。そんな会話から生まれた一句「足して引き ひとつ残れば いい人生」は昨年のラジオ番組で“リスナーが選ぶ最も印象に残った句”に選ばれた。三宅さんの川柳が多くの人を元気付けた。
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掲載紙面(PDF):
2010年4月24日(1893号) 1面 (8,512,085byte)
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コメント
わたしも明るく生きていこうと思います。
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投稿:ありがとう 2010年04月28日コメントを書く