塩づくりに愛着の90歳が唄作詞
2010年05月01日
大正末期の釜屋内部=故・山本正二氏撮影
尾崎生まれの長棟さんは子どものころから「寄せ子」(塩田のパート従業員)として西浜塩田で働き、赤穂海水工業(現日本海水)に就職。退職後は「塩屋たてくわ保存会」を結成し、塩田作業の所作を振り付けた「たてくわ踊り」の保存継承に力を注いできた。
塩田で働いていた当時の記憶や史料を基に、釜屋でかん水を煮詰める様子を歌った「目代り(めがわり)」、入浜式全般を歌詞にした「塩宝(しおだから)」の2曲を作詞。いずれの唄も工程がいきいきと描写されている。
元赤穂海水社員の大西平八郎さん(78)=新田=は「歌詞を読むと、当時の情景が思い出される」と懐かしんだ。
長棟さんは「塩づくりは産業、文化の両方で赤穂の大切な伝統。その心意気はいつまでも忘れないで」と話している。
* * *
「目代り」 長棟三枝
土手のち草も 塩育ち
クコ茶のクコも 咲いている
釜をでかして 実を上げて
朝な夕なに 入れかわる
釜屋のむしろ戸 外気よけ
なかは十燭 灯が二ツ
ガスのにほいが つんとくる
赤穂伝説 塩づくり
大きな平釜 ぶつぶつと
赤茶色した 鹹水(かんすい)だ
やがて釜ん中 湯気合戦
天蓋に押しあい 舞い上る
釜下見やれば 火炎(ひの)地獄
石炭くべては 沖突きて
突いてはくべる ここ一番
最強(つよい)火力が必要だ
ぐらぐらたぎる 釜の中
きらきら結晶が 見えかくれ
鹹水中の 不純物
泡がぷくぷく 浮いてきた
長柄の泡かき 泡をとる
きれいになるまで 泡をとり
ここで釜下 石炭くべ
釜に塩つく 間が楽し
塩がいよいよ 出来かけた
横振り使い 一均し(ひとならし)
ここで又もや 石炭くべ
くべて程なく 塩の餅
重なり合うた 白い塩
釜全体に 拡がりて
みるみるうちに 実を上げる
釜焚き冥利に つきるとき
釜から湯出しに 移す塩
湯気がポカポカ あつい塩
苦汁がポタリ 又ポタリ
塩取り具から 落ちている
静かになった 釜ん中
また鹹水を 入れて焚く
夜風がひとしお 肌にしむ
近くの釜屋も 窓あかし
音に聞こえた 赤穂塩
塩の用途は 数知れぬ
伝承技術は もう旧い
時代は新を求めてる
塩の歴史を 紐とけば
一千三百年を さかのぼる
浅野家始めた 入浜式
改良加えつ 最後まで
昭和半ばに 塩田(はま)廃止
時代の新風 さわやかに
日本の文化を 支えてる
赤穂の塩は 永久(とわ)のもの
* * *
〔用語の説明〕
○目代り=釜焚きの見習い。主に夜間に従事した
○クコ=ナス科の落葉低木。薄紫色の花と赤い実をつける。塩田の周囲の土手に多く生えていた
○釜をでかす=石炭をくべて鹹水を入れた鉄釜を涌かすこと
○実を上げる=鹹水の水分が蒸発し、釜全体で塩が固まり出すこと
○釜屋=鹹水を煮詰める作業場
○十燭=燭は光度の単位。「十燭」は13ワット相当の電球
○鹹水=製塩過程で濃縮した食塩濃度の高い水
○沖突く=火の巡りがよくなるように、先端が二股に分かれた鉄棒で石炭を動かすこと
○泡かき=煮詰めた鹹水の表面に浮いた不純物を取り除くこと
○塩の餅=塩の結晶が集まると、餅のように見えたらしい
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2010年5月1日(1894号) 1面 (10,798,605byte)
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