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内蔵助切腹の地が特別公開

 2012年02月10日 
義士命日にちなんで行われた旧細川家下屋敷跡の特別公開。切腹時に義士が着座したとされる場所に目印の庭石が置かれている
 吉良邸討ち入り後、大石内蔵助以下義士17人が預けられた旧熊本藩細川家下屋敷跡(東京都港区高輪)で4日、義士たちが切腹した場所の特別公開があり、忠臣蔵愛好者や歴史ファンなど約260人が見学に訪れた。
 切腹の地は、義士たちが眠る泉岳寺から北約300メートル。港区立高松中学校の敷地内にある。中央義士会(中島康夫理事長)によれば、昭和32年以降は同会と泉岳寺、都の共同管理地となり、約100平方メートルを塀で囲って保護。普段は閉門されて中に入ることができないが、義士の命日にちなんで同会が特別に公開した。
 中島理事長(70)が屋敷の間取り図、切腹場面を描いた図など史料のコピーを示しながらガイド。義士が切腹する際に着座した方角が東向きだったとみられることなど、新たな研究成果も交えて解説された。
 義士たちが切腹した細川家下屋敷は約1万6700坪の土地を有し、地名から「白金屋敷」と呼ばれた。史料によると、義士たちは「御役者間」から一人ずつ庭へと進み、幕府の目付が座る「檜書院(大書院)」に正対して着座。その場には畳3枚が敷かれ、白幕と屏風で囲われていたという。
 当時の藩主、細川綱利は、「17人の勇士どもは我家の守り神である。切腹の場所は清めることはない。そのまま長く保存するように」と家臣に言い渡したと伝えられている。また、明治に入って土地が皇室所有になった際は、明治天皇が「旧形のまま永く保存せよ」と命じたといわれ、大正7年に東京都指定旧跡となった。
 特別公開に伴う現地解説は正午から午後4時まで計7回行われた。北は宮城県、南は熊本県など遠方からの参加も。高松中を卒業したという区内在住の主婦(57)は、「校庭の南側には介錯した刀を洗った『血洗の池』があります。切腹の場が300年以上経った今でもこうして残っているのはすごいこと」と、熱心に説明に耳を傾けていた。
 特別公開の解説内容は、同会が昨年12月に発刊した冊子「大石内蔵助ら切腹の地」(A5判101ページ)に詳しく紹介されている。一部1000円(送料80円)。問合せは同会TEL048・993・2591。
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関連サイト:
コラム【陣太鼓】「2月4日」を大切に


掲載紙面(PDF):
2012年2月11日(1979号) 1面 (9,409,430byte)
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