忠臣蔵のふるさと・播州赤穂の地域紙「赤穂民報」のニュースサイト
文字の大きさ

赤穂民報


  1. トップページ
  2. 文化・歴史
  3. 記事詳細

「オホサケ神」は“まちづくりの神”

 2012年11月26日 
秦氏一族と「オホサケ神」との関連について講演した井上満郎・京都市歴史資料館長
 赤穂市立図書館が3回シリーズで開く講座「播磨の歴史と文学―秦氏伝承を探る」の初回が24日にあり、京都市歴史資料館の井上満郎館長(72)が「秦河勝の実像とオホサケ神」と題して講演。約100人が聴講した。以下抄録。
 秦河勝の名が歴史上の文献に現れるのは4回しかないが、聖徳太子の側近として外交、国内統治に関わり、熱心な仏教崇拝者だったことが読み取れる。
 河勝を生んだ秦氏一族がいつ渡来したのか。その手がかりになるのが、平安中期の文献『政事要略』で、秦氏が現在の京都市右京区にあたる一帯で「葛野大堰」を造築したことが書かれている。その地域では5世紀中葉に突如として首長墓が築かれ始めており、おそらくこの時期に秦氏による灌漑工事が行われたとみてよい。
 「オホサケ神」は秦氏一族の氏神だ。「オホサケ」には「大酒」「大辟」のほかに「大裂」の字を当てる説がある。「裂く」には「開発する」との意味があり、「オホサケ」は「大いに土地を開発した」と解釈するのが妥当だろう。
 記録によれば、かつて旧赤穂郡内には少なくとも大避神社が28社あった。他地域に比べて突出して多く、それだけ「オホサケ神」を信仰する人たちが多く居住していたことを示している。
 秦氏一族をはじめ、朝鮮半島からやって来た渡来人が日本の文化、文明を大きく推し進めた。旧赤穂郡においても在野の人たちと一緒になって地域開発を果たしたのだろう。数多く残る大避神社はその名残と言える。
  * * *
 同講座の次回以降の開催は次のとおり。無料。申込みはTEL43・0275。
 ▽12月8日(土)=「考古学と播磨の渡来伝承」寺沢知子・神戸女子大学文学部教授
 ▽12月22日(土)=「司馬遼太郎の作品について」玉田克宏・姫路文学館課長補佐
<前の記事


掲載紙面(PDF):
2012年12月1日(2016号) 3面 (8,304,197byte)
 (PDFファイルを閲覧するにはこちらからAdobe Readerを入手してください。)


コメントを書く

お名前 (必須。ペンネーム可):

メールアドレス (任意入力 表示されません):

内容 (必須入力):

※コメントは投稿内容を赤穂民報社において確認の上、表示します。
投稿ルールを遵守できる方のみご投稿ください。
今週のイベント・催し
23
(月)
 
24
(火)
25
(水)
26
(木)
27
(金)
 
28
(土)
 
29
(日)

最新のコメント

  • 《市民病院医療事故多発》科長が治療実績の不正付け替え提案←t(11/24)
  • JR播州赤穂駅「みどりの窓口」11月末で廃止←太郎(11/23)
  • 「今も昔もボール追う子の目は同じ」尾崎野球少年団50周年←元同級生39(11/23)

各種お申込み

以下より各お申込み、資料請求フォームにリンクしています。ご活用下さい。

スマホサイトQRコード

スマホ用URLをメールでお知らせ!
e-mail(半角入力)


ドメイン指定受信をされている方は「@ako-minpo.jp」を指定してください。

閉じる
中村唯心堂 中道工務店 矢野防水工業 赤穂メモリアルホール 野中砂子土地区画整理組合 花岳寺 兵庫県警
閉じる
中村唯心堂 中道工務店 矢野防水工業 赤穂メモリアルホール 野中砂子土地区画整理組合 花岳寺 兵庫県警