塩屋村で刊行、明治27年の句集
2013年01月19日
明治27年に寺田笠雅が刊行した句集『鶴のすみか』。表紙にあったはずの題箋は剥落したと思われる
尾張地方で俳壇の中心人物だった松浦羽洲(1826−1914)が序文を寄せ、東北から九州まで全国各地の俳人が投句しており、編者の交流の広さをうかがわせる。
笠雅は塩問屋で栄えた寺田家の分家「新寺田」の初代で本名は佐次平。序文によれば、句集(縦22・8センチ、横15・6センチ、31丁)は自身の還暦祝いに刊行。繊細な草書体を丁寧に彫った木版刷りで、当時の職人の腕の良さがうかがえる。表紙には鶴、松の紋様をあしらっている。本紙が昨年11月、東京の古書店から購入した。俳句図書館「鳴弦文庫」(千葉県野田市)、天理大学附属天理図書館、静岡県立中央図書館にも同じ句集が収蔵されている。
冊子の前半は、2人以上が順繰りに句を付けていく連句を5作収録。冒頭の作品は「羽洲」「笠雅」「鳳羽」の3者が計36句をつなげている。「鳳羽」は明治23年から富山県知事を2年間務め、27年から貴族院議員となった羽洲門下の森山茂(1842−1919)とみられる。後半は俳句約250句。作者名の上に小文字で表記されている地名は「仙台」「加賀」「イヨ」「豊後」など広範にわたっている。交友のあった各地の有名宗匠を通じて投句を呼び掛けたのだろう。
羽洲は序文で笠雅について、「塩屋の里の豪族にして、常に風流をたしみて海内に芳名をしらる」と紹介。さらに、笠雅宅の庭にある堂宇の中の様子を詳しく記述している。「鳴弦文庫」の河合章男館長(62)は、「すでに鉄道が開通しており、羽洲が赤穂を訪ねた可能性もある」と推測する。
句集の最後の頁には笠雅本人と妻もと、そして3人の息子の句を収めている。後に塩屋村の村長となる長男が「半夢」の号で「仰見る千とせの色や初ミとり」と詠み、笠雅の「ことの葉の花や栄む千代の春」が結び。序文に登場する堂宇は屋根を茅葺きから銅板葺きに修繕した以外は手を加えずに現存しており、その家で暮らす寺田十啓さん(58)は「句集は先祖の営みを示す足跡。この庭を見ながら作句していたのかと思い、庭に佇むと、先祖の息吹を感じるように思います」と話している。
<前の記事 |
掲載紙面(PDF):
2013年1月19日(2023号) 1面 (6,850,803byte)
(PDFファイルを閲覧するにはこちらからAdobe Readerを入手してください。)
国名勝庭園、秋の一般公開 ハーモニー記念合唱団が発足 [ 文化・歴史 ] 2011年11月10日11日から市民会館で書道展 [ 文化・歴史 ] 2011年11月10日坂越の安藤さん「孫と二人展」 [ 文化・歴史 ] 2011年11月09日農村舞台、約50年ぶり上演 [ 文化・歴史 ] 2011年11月06日赤穂出身の美大生、パリで出品 [ 文化・歴史 ] 2011年11月05日“郷土の宝”有年考古館が公立で再開 [ 文化・歴史 ] 2011年11月05日坂越の景勝地・史跡ウオーク 市立図書館で文学講座 市内唯一の農村舞台、いよいよ復活 学童美術展、9日まで開催 大石神社の能舞台が修復完成 [ 文化・歴史 ] 2011年11月01日中学生がプロとジャズ共演 [ 文化・歴史 ] 2011年11月01日ガイドが語る姫路城の魅力 没後100年、大鳥圭介展 [ 文化・歴史 ] 2011年10月27日
コメントを書く