赤高ナイン熱戦譜(28)母がラジオを聴いている
2015年08月08日
2回表の赤高の攻撃。ツーアウトフルベースの好機に9番塩崎が打席へ入った。チャンスで打ちたいのはバッターにとって当たり前だが、この日の塩崎には、さらに発奮する理由があった。
塩崎(現姓・冨田)の話では、家は経済的に豊かではなかった。塩崎は子どものころから塩田に出て、海水を汲み上げる「もんだれあげ」で家計を助けた。昭和25年に大蔵大臣だった池田勇人が「所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食う」と国会答弁して波紋を呼んだが、それから4年経っても塩崎家は「バチバチの麦飯」(冨田)を食べていた。
そんな中、両親は赤穂初のプロ野球選手として巨人軍に入った長男・正人だけでなく、二男の忠良、三男の洋二にも好きな野球をさせてくれた。今大会前に1週間ほど行われた合宿で、部員一人につき一日5合の米を持ち寄ることになったときも、母が大事な米を持たせてくれた。
この日の決勝戦はNHKと神戸放送(現ラジオ関西)が生中継していた。きっと母も赤穂でラジオを聴いている。
「ここで打ちたい」
外角いっぱいに決まった初球のストレートは見送った。続く2球目。塩崎はバットを強振した。(文中敬称略)
掲載紙面(PDF):
2015年8月8日・第1部(2147号) 3面 (10,310,003byte)
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塩崎(現姓・冨田)の話では、家は経済的に豊かではなかった。塩崎は子どものころから塩田に出て、海水を汲み上げる「もんだれあげ」で家計を助けた。昭和25年に大蔵大臣だった池田勇人が「所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食う」と国会答弁して波紋を呼んだが、それから4年経っても塩崎家は「バチバチの麦飯」(冨田)を食べていた。
そんな中、両親は赤穂初のプロ野球選手として巨人軍に入った長男・正人だけでなく、二男の忠良、三男の洋二にも好きな野球をさせてくれた。今大会前に1週間ほど行われた合宿で、部員一人につき一日5合の米を持ち寄ることになったときも、母が大事な米を持たせてくれた。
この日の決勝戦はNHKと神戸放送(現ラジオ関西)が生中継していた。きっと母も赤穂でラジオを聴いている。
「ここで打ちたい」
外角いっぱいに決まった初球のストレートは見送った。続く2球目。塩崎はバットを強振した。(文中敬称略)
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