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戦争体験重なる偶然 70年経て対面

 2015年11月07日 
戦時中に同じ船で戦争被害に遭っていた坂元茂昭さん(左)と伊藤暁さん
 太平洋戦争末期の昭和20年7月、長崎の川南造船所で艤装中にアメリカ軍の爆撃を受けた錦江丸に乗船していた加里屋の坂元茂昭さん(87)の戦争体験記事(8月8日付け「長崎で九死に一生」)を掲載したところ、大町の伊藤暁(さとる)さん(86)も同じ船に乗っていたことがわかった。
 2人は本紙の記事をきっかけにこのほど対面。ともにくぐり抜けた当時の修羅場を振り返り、互いの健在を喜び合った。
 明石生まれの伊藤さんは国民学校を卒業した昭和19年3月、14歳で芦屋海員養成所に入所。わずか3カ月ほどの訓練を受けただけで東亜海運に入社し、大阪と上海を結ぶ輸送船に機関員見習いとして乗船した。
 伊藤さんは戦時中、何度も命の危険にさらされた。初航海は東シナ海へ出て2日目に乗っていた船が米潜水艦の攻撃で沈没。次に乗った安興丸は福岡・三井から大阪へ石炭を運ぶ途中に米軍の機雷に当たって沈んだ。続いて、昭和20年6月に長崎・香焼島(こうやぎしま)の川南造船所で錦江丸に乗り込んだが、翌月の空襲で撃沈。会社の命令で長崎市内の旅館に待機中、原爆に被爆した。
 坂元さんと伊藤さんは当時、同じ海運会社で勤務。錦江丸だけでなく安興丸にも同乗していたことが判明した。2人は「まさか同じ船に乗っていた人が赤穂におられたとは」と異口同音に驚き、「お互いよく生き延びたもんやなあ」と感慨に浸った。
 「自分と同じ船に乗っていて爆撃や機雷で命を落とした人たち、原爆で無残に亡くなった人たちの姿が今も目に焼き付いています」と伊藤さん。今でもサイレンの音を聞くと空襲警報を思い出し、気持ちが不安になるという。「戦争は二度としてはいけない」と語る言葉に重みがあった。
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関連サイト:
【関連記事】戦後七十年・語り継ぐ(6)〜長崎で九死に一生


掲載紙面(PDF):
2015年11月7日(2160号) 1面 (11,281,861byte)
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