木津・大工村「秘仏」の姿明らかに
2018年02月17日
地元で「秘仏」とされてきた太子像を調査する金子哲教授(左)
太子堂は木津水源地から千種川堤防沿いに約200メートル下流側にある。木津はかつて宮大工集団が暮らした地で、「大工」「手能」といった字(あざ)がある。『赤穂の民俗』(赤穂市教育委員会発行)によれば、字大工は大工、字手能は大工道具を作る人々がそれぞれ生活していたという。
聖徳太子は古くから建築に携わる人たちの信仰対象とされてきた。木津の太子堂も、かつては年に一度の「太子会」に赤穂一円のほとんどの職人が参拝し、参道に露店が並んだり、近くに小屋を建てて村芝居や農村歌舞伎を興行したりするなど盛大だったという。
地元住民の話では、祭壇に3つ並ぶ厨子のうち中央は「開けたらバチが当たる」と言い伝えられてきたといい、古老も「いっぺんも見たことない」。『赤穂の民俗』も「鍵がかけられ、中の本尊が何であるのか確認できなかった」と記しており、研究者の間では「げんのうを手にした太子像らしい」「いや、手斧を持っていると聞いた」などといった噂が伝播していた。
今回の調査は太子堂を管理する龍泉寺(真宗大谷派、多田敏明住職)の許可を得て行われ、中央の厨子を開くと、彩色が施された「太子孝養像」が現れた。手にしていたのは大工道具ではなく、柄のついた香炉だった。
太子像がある本堂の壁を隔てた北側の部屋は「観音堂」と呼ばれ、真言密教系の可能性がある如意輪観音像が安置されている。「太子信仰と密教の信仰が同じ場所にあり、大変興味深い」と金子教授。ともに調査にあたった兵庫県文化財保護指導委員の小林誠司さんは太子堂の柱や組物の形状などから「中世の建築様式を踏襲した近世寺院建造物で、全体に均整のとれた秀作。引き続き研究したい」と関心を持っていた。
今年の「太子会」は2月18日(日)に行われる。法要は午前10時から。希望者は太子孝養像を拝観できる。
<前の記事 |
掲載紙面(PDF):
2018年2月17日(2267号) 1面 (11,175,098byte)
(PDFファイルを閲覧するにはこちらからAdobe Readerを入手してください。)
国周の忠臣蔵錦絵を公開 [ 文化・歴史 ] 2015年03月27日合併60周年「有年の偉人・賢人」展 [ 文化・歴史 ] 2015年03月26日交通要所だった往時偲ぶ案内看板 [ 文化・歴史 ] 2015年03月24日バイオリン教室が練習成果を発表 メイプル写友会の第18回グループ展 [ 文化・歴史 ] 2015年03月21日絵画サークルのロビー展 [ 文化・歴史 ] 2015年03月21日大阪音楽大学の現役とOB共演 女性たちの絵画作品展 [ 文化・歴史 ] 2015年03月20日上郡町内に残る「義士絵馬」を探訪 [ 文化・歴史 ] 2015年03月16日「わが家のお宝」ずらり80点 [ 文化・歴史 ] 2015年03月14日千種川流域の仏塔を解説 西国街道巡る歴史ウオーク 多彩な音色で聴衆魅了、ハーモニカフェス [ 文化・歴史 ] 2015年03月07日史料集シリーズ、刊行スタート [ 文化・歴史 ] 2015年03月07日画塾「雨聲会」有志が作品展 [ 文化・歴史 ] 2015年03月07日
コメントを書く