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80年前の夏 修学旅行で富士登山

 2019年07月31日 
修学旅行を終えて赤穂駅に到着した赤穂高等女学校の生徒たち。登山で使った金剛杖を携えている=卒業アルバムより
 赤穂高校の前身の赤穂高等女学校を1940年(昭和15)に卒業した橋本美喜子さん(95)=埼玉県富士見市=が修学旅行の思い出をまとめた手記を本紙に寄せてくれた。
 * * *
 私たち兵庫県赤穂高等女学校の4年生30余名は昭和14年7月31日富士山に登りました。戦時色の濃くなる中どういう経緯で富士登山が学校行事として計画実施されたかはわかりません。前にもあとにもこの登山計画一回きりだったようです。
 7月29日は御殿場の旅館に一泊しました。30日早朝バスで太郎坊まで行き、そこから歩き始めました。金剛杖をついて「六根清浄、お山は快晴」と掛け声をかけ、金剛杖には五合目、六合目と焼印を押してもらい全員が張り切って登りました。八合目だったか山小屋に泊まり、素晴らしいご来光を拝んでお天道様に感謝をしました。
 昔は汽車に乗るとき大きな荷物は、チッキというシステムを利用して別送することができました。私たちもこれを利用して登山用の衣類をバッグに入れて送ったのですが、どうしたわけか駅に着いていなかったのです。仕方なく全員夏服のままの登山になりました。高度が上がるにつれ寒くて辛抱できなくなり、持っていた新聞紙をかぶり、風呂敷を巻きました。少女たちが寒さ凌ぎに新聞紙を背中にかけたり頭にかぶっている様子は、ほかの登山者には不思議だったと思われます。私は自分も同じ格好なのに友達の姿を見て惨めな思いでした。登るにつれて植物は無くなり、石ころばかりの道を蛇行を繰り返して登るのは辛くて大変でした。胸突き八丁では、苦しく辛かったのですが、頂上にようやくついたときは、本当に嬉しくて達成感で胸が一杯になりました。
 高山病で頭が痛く吐き気も少しありましたが、お鉢めぐりをしました。将来二度と来ることがないだろうから後悔しないように、と友達に励まされ、自分で自分に鞭打って剣が峰へ上りお鉢めぐりをしました。その後火口に下りて富士山本宮浅間大社の奥宮という小さな祠へお参りし、金明水、銀明水をいただきました。
 うろ覚えですが明水の値段は盃一杯、3銭か5銭だったと思います。火口の中に僅かに水が滲み出るとのことで、神様のお水として尊ばれていました。
 下山は須走を走り降りましたが、その爽快さは今思い出しても気持ちがいいものでした。あの気持ち良さは少々のことでは味わえない、何度でも経験したいと思います。
 下山したら駅にチッキはついていました。
 富士山を遠く埼玉の地から臨みながら、あの頂に立ったんだと誇りに思っています。
 「五月富士 かの頂に 立ちしこと」美喜子
 * * *
 当時の卒業アルバムを見ると、この年の修学旅行は、往路は客船・鎌倉丸を利用。皇居、明治神宮、泉岳寺、日光、鎌倉を巡った。橋本さんは「一番印象に残っているのが富士山。私にとって大切な青春の思い出です」と当時を振り返った。
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掲載紙面(PDF):
2019年8月3日号(2335号) 3面 (10,993,275byte)
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