「謎の氏族〜秦氏」考古学から実像迫る
2019年10月13日
秦氏の実像に迫ろうと有年考古館で開催中の特別展
秦氏は中国大陸をルーツに朝鮮半島を経由して日本列島にやってきたとされる。近年の調査研究で、新羅から渡来したとする説が有力視されているという。
市教委の発掘調査成果によると、有年牟礼・山田遺跡の周辺では3世紀(弥生時代)以来原野だった場所が7世紀に突如、巨大な集落が形成され、同時に新たな須恵器窯や特殊な形状の古墳群が築かれた。「5〜6世紀(古墳時代)に渡来人が多く播磨地域に存在した中、7世紀初頭(飛鳥時代初頭)に赤穂郡に新たな渡来人がやってきた可能性が高い」と推定できるという。
展示では、亀田遺跡(揖保郡太子町)で見つかった新羅の特徴を示す須恵器の角杯、袋尻浅谷3号墳(たつの市)から出土した中国大陸の影響を受けたとされる土師器子持器台、有年牟礼・山田遺跡で発掘された「秦」の刻字がある須恵器など、播磨各地の古墳で出土した渡来系遺物を中心に約350点を紹介。同地域と渡来人との関わりを考古学の観点から示している。
市教委によると、赤穂郡の秦氏は7〜12世紀にかけて地方官人集団として地域開発や産業開発に関わったが、律令体制の崩壊とともに次第に力を失い、農民化したという。山中良平学芸員は「歴史から姿を消したとはいえ、現在でも赤穂郡内に秦氏を祭神とする大避神社が数多く残っているのは、古代に地域を開発し、豊かにした秦氏が忘れがたい非常に重要な存在だったからだろう」と話す。
12月2日(月)まで午前10時〜午後4時。火曜休館。Tel49・3488。
10月20日(日)には中久保辰夫・京都橘大学准教授による記念講演会「播磨の秦氏〜考古学からわかることとわからないこと」が有年公民館で午後1時半から開かれる。
<前の記事 |
掲載紙面(PDF):
2019年10月12日号(2343号) 3面 (6,750,618byte)
(PDFファイルを閲覧するにはこちらからAdobe Readerを入手してください。)
忠臣蔵浮世絵を展示替え [ 文化・歴史 ] 2012年08月15日市民文化祭、俳句と短歌募集 観光ガイドが自由研究を指南 [ 文化・歴史 ] 2012年08月12日隅櫓と大手門を模型で再現 [ 文化・歴史 ] 2012年08月11日第50回県展、赤穂から入選2人 [ 文化・歴史 ] 2012年08月07日有年の遺跡は「国史跡級」 [ 文化・歴史 ] 2012年08月06日他界の作り手悼む篠笛演奏会 [ 文化・歴史 ] 2012年08月04日畿内から中四国の土器特別展 [ 文化・歴史 ] 2012年08月01日キャンバスの会がロビー展 [ 文化・歴史 ] 2012年08月01日65歳同級生3人が写真展 [ 文化・歴史 ] 2012年07月28日大学生がピアノコンサート [ 文化・歴史 ] 2012年07月27日非核平和展を29日まで開催 [ 文化・歴史 ] 2012年07月27日はく製と標本で西表島自然展 [ 文化・歴史 ] 2012年07月24日版画の私設美術館が移転再開 [ 文化・歴史 ] 2012年07月21日忠臣蔵研究の小学生を支援
コメントを書く