「一部浪士の脱盟は広島藩の意向か」義士会講演会
2023年02月12日
忠臣蔵の普及啓発を目的に赤穂義士会が主催した講演会があり、広島城学芸員の本田美和子氏が「赤穂事件と広島」と題して講演した。
広島城をはじめ広島の歴史を専門とする本田氏は、広島藩浅野家の研究の一環で元禄赤穂事件についても調査。2006年度には「赤穂事件と広島〜知られざる忠臣蔵」展を企画した経歴がある。
講演で本田氏は、浅野長矩が江戸城で刃傷に及んだことを知った広島藩主・綱長が直ちに赤穂藩上屋敷に使者を送ったほか、国元からも赤穂に正使を派遣して無血開城するよう大石内蔵助ら赤穂藩士を説得した経緯を紹介した。
四十七士の吉良邸討ち入り後には世間から英雄視されていた内蔵助の三男代三郎を召し抱えた一方で、仇討ちの盟約から脱落した小山源五右衛門の子どもたちも厚遇していることを指摘。「広島藩士を親類に持つ源五右衛門が脱落したのは、広島藩の意向があったのではないかと想像できる」と述べ、幕府の目や世間の評判を気にしつつ、事件後の対応を進めた広島藩の思惑を家系図を示して丁寧に解説した。
本田氏によると、代三郎は広島城三の丸の「身分の高い藩士たちが住む一等地」に屋敷を与えられ、母のりくも一緒に暮らしたという。りくが親しい知人に「自分は普通の女性とはちょっと違うので、すごく疲れる」などと送った書状があり、「気苦労の多かった人生だったのだろう。最期は安らかだったと願いたい」と思いやった。
広島藩浅野家と元禄赤穂事件の関わりをテーマに行われた講演会=4日、市民会館
広島城をはじめ広島の歴史を専門とする本田氏は、広島藩浅野家の研究の一環で元禄赤穂事件についても調査。2006年度には「赤穂事件と広島〜知られざる忠臣蔵」展を企画した経歴がある。
講演で本田氏は、浅野長矩が江戸城で刃傷に及んだことを知った広島藩主・綱長が直ちに赤穂藩上屋敷に使者を送ったほか、国元からも赤穂に正使を派遣して無血開城するよう大石内蔵助ら赤穂藩士を説得した経緯を紹介した。
四十七士の吉良邸討ち入り後には世間から英雄視されていた内蔵助の三男代三郎を召し抱えた一方で、仇討ちの盟約から脱落した小山源五右衛門の子どもたちも厚遇していることを指摘。「広島藩士を親類に持つ源五右衛門が脱落したのは、広島藩の意向があったのではないかと想像できる」と述べ、幕府の目や世間の評判を気にしつつ、事件後の対応を進めた広島藩の思惑を家系図を示して丁寧に解説した。
本田氏によると、代三郎は広島城三の丸の「身分の高い藩士たちが住む一等地」に屋敷を与えられ、母のりくも一緒に暮らしたという。りくが親しい知人に「自分は普通の女性とはちょっと違うので、すごく疲れる」などと送った書状があり、「気苦労の多かった人生だったのだろう。最期は安らかだったと願いたい」と思いやった。
<前の記事 |
[ 文化・歴史 ]
4年がかりで亡母の遺句集 [ 文化・歴史 ] 2016年06月04日8月に泉岳寺など義士史跡探訪ツアー 若狭野浅野家の旧札座で保存運動 [ 文化・歴史 ] 2016年06月03日赤穂ゆかりの画家が描いた「60年前」 [ 文化・歴史 ] 2016年05月25日食文化発信「天塩スタジオ」オープン 東浜町に緞通工房 製作工程見学可 [ 文化・歴史 ] 2016年05月20日繊細華麗な装飾の洋風陶磁器展 [ 文化・歴史 ] 2016年05月20日赤穂美術協会 20日から第36回展 [ 文化・歴史 ] 2016年05月20日赤穂の夜景を題材に写真展 [ 文化・歴史 ] 2016年05月18日古民家再生して「ビートルズ・サロン」 赤穂民報主催・第25回習字紙上展の作品募集 赤穂緞通で伝統工芸近畿展に初入選 [ 文化・歴史 ] 2016年04月30日「北前船寄港地」でまちおこし [ 文化・歴史 ] 2016年04月16日22日から赤穂書道会展 [ 文化・歴史 ] 2016年04月16日2年に一度の地獄絵公開 24日に誓教寺
コメントを書く