旧松岡病院 惜しまれつつ解体
2013年01月07日
老朽化のため解体されることになった旧松岡眼科病院
地方にありながら最先端の医療を誇り、郷土文化の発信拠点としての役割も担った同病院。惜しまれつつ、7日から解体作業が始まった。
大正14年(1925)に開院した同病院の初代院長は長崎医学専門学校(現長崎大医学部)の教授だった松岡與之助(1888−1932)。一時期の病で研究の道を閉ざされて帰郷し、自宅で診療活動を行っていた與之助が患者数の増加に伴い、自宅前の田を用地に創設した。與之助の没後は眼科医のかたわら郷土の遺跡発掘で活躍した弟の秀夫(1904−85)が跡を継いだ。
寄せ棟造りの2階建てで、延床面積は約355平方メートル。與之助が自ら設計したとされ、長崎医専附属病院と建物の雰囲気が似ている。玄関を入って右手奥の眼科診察室は天井が高く、南東に面した窓から明るい光が差し込む構造。待合室は患者がくつろげる畳敷きだった。平成17年の閉院まで地域医療を支えた。
貧しい患者からは治療費を受け取らず、“有年聖人”と慕われた與之助。地域誌『郷土研究』を編集発行するなど文化振興にも熱心で、院内に図書室を設けて無料で書籍を貸し出した。秀夫が院長になってからは、病院2階和室は考古学を志す学生たちの合宿所としても使われた。
兵庫県教委文化財課の村上裕道課長(58)は「建造物としての評価はさておき、地域文化の拠点として使用された意義は大きい」と話す。赤穂市教委は取り壊し前の5日、現地調査を実施。県歴史文化遺産活用推進員で1級建築士の山本建志さん(58)=塩屋=が間取りを記録した。
解体作業が始まった7日は、最後の院長となった與之助の長女、綾子さんの命日と重なった。「建物は失われますが、図面や写真で残してもらえることをとてもありがたく感じています」と與之助の孫で眼科医の徹さん(61)。與之助の遺品には19世紀に創刊されたドイツの医学書など史料的価値の高いものがあり、「市への寄贈も検討したい」と話している。
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掲載紙面(PDF):
2013年1月12日(2022号) 3面 (8,512,978byte)
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