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「四十七士の歌」市民合唱団がCD化

 2013年12月12日 
「四十七士の歌」をCDに収録した赤穂市民合唱団と松崎繁夫さん=前列左から4人目
 忠臣蔵の名場面を連綿と歌う長編唱歌「四十七士の歌」を現代も歌い継ごうと、赤穂市民合唱団(森角英規団長)が全40番を混声四部合唱でCDに収録。市内の小中学校全校にこのほど配布した。
 「君の恵みにくらぶれば」で始まるテンポのよい七五調の歌詞で明朗なメロディ。「鉄道唱歌」の作詞者として知られる大和田建樹が作歌、「夏は来ぬ」などを手掛けた小山作之助が「本元子」のペンネームで作曲し、明治34年(1901)の『国民教育忠勇唱歌第二集』に「四十七士」の題名で所収されている。
 坂越出身の合唱指導者、江崎潔さん(54)が四部合唱に編曲し、昨年12月の「ハーモニー第九演奏会」で一部を披露。「感動した」「もっと聴きたい」などと大好評だった。出演していた元高校教諭の松崎繁夫さん(81)=加里屋=に教え子のそば店経営、木村秀之助さん(66)=同=が協力し、「赤穂の文化遺産として後世に残そう」と市民合唱団に収録を依頼。指揮者の伊藤敏博さん(48)=南野中=がすべての歌詞を音符に割り当てた。
 松崎さんの話では、今から40数年前に同級生の赤松秀幸さん(元赤穂高音楽部顧問、故人)が部員の歌を録音したテープがあるが、年月の経過とともに音質の劣化は否めず、「このままだと失われてしまう」と気をもんでいたという。
 CDは伊藤さんが約150枚を複製。義士祭前夜の提灯行列で「四十七士の歌」をかけて歩く松区自治会(清水政幸会長)にも渡された。「これまで使っていたテープが傷んできていたのでありがたい」と清水会長。松崎さんは「みなさんのおかげで願いがかなった。子々孫々まで歌い継いでほしい」と喜んでいる。
 今回収録された歌は12月15日(日)午前9時30分からラジオ関西「おもしろひょうご楽」の「兵庫のB面ご当地ソング」のコーナーでも紹介される。
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掲載紙面(PDF):
2013年12月14日(2066号) 4面 (10,978,162byte)
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コメント

日露戦争開戦前、戦意高揚を目的に発表された軍歌の一種だからではないですか?

0  0

投稿:忠勇ショー化 2016年12月16日

NHK大河ドラマ「赤穂浪士」の芥川也寸志作の主題曲があたかも「赤穂義士祭」のテーマ曲のようで、義士祭前に街中この曲を流して盛り上げてはという意見があるように聞きます。市が中心になる行事なので、著作権などの問題はクリアーされてはいるのでしょうが、赤穂の歴史と伝統の中で生まれ、受け継がれたこの曲を、音楽の町らしく現代的な曲にアレンジして「赤穂」義士祭のテーマ曲とすることはできないのでしょうか。115回の節目を目指して、音楽関係の方、ひと踏ん張りしませんか。

0  0

投稿:赤穂義士祭のテーマ曲にしないのは何故 2016年12月14日

私たちが小学生の頃は学校で覚えたように記憶していますが
義士祭当日に市内の小学校から5、6年生がでてリコーダーとかでマーチングの行進を
やったと思いますそのときによく演奏してましたよ
昔のわら半紙に鉄筆で書いたガリ版刷りの音符の紙があったような
懐かしいですね

何処で手に入るのでしょうか?

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投稿:おっちゃん 2016年12月14日

理想と現実。
過去と未来。
表と裏。
本音と建前。
善と悪。
戦争と平和・・・的な視点ですかね。

0  0

投稿:忠臣カーチス 2014年10月18日

“四十七士の歌”今年も赤穂義士祭が近ずいてきました。昨年、“四十七士の歌”のCDを製作する機会があって改めてこの歌をよく吟味してきました。このたび次のような拙文を記しました。多くの読者のご意見が伺えたら幸せです。よろしくお願いします。


           
 赤穂義士をたたえた歌に70年前までに小学校で歌われた続けた“四十七士の歌”があります。今も義士祭には流れることがあります。この機会にこの歌の意味を考えてみました。
“君の恵みにくらぶれば・・・・・髪の毛よりも軽き身は・・・・・”この歌詞にたいし、皆さんはどう思われますか。毎年12月14日の義士祭はマスコミに報道され、赤穂市は多勢の観光客が訪れ、人気タレントの顔見世、大名行列、義士行列などいろいろな催物が行なわれ,大いな賑わいを見せます。義士祭のお祭りの中でどれほどの人々が、この歌詞にある義士の精神に思いを寄せるのでしょうか。
 頃は元禄14年、時代は幕藩体制の最中にありました。天子、幕府、藩の縦社会で幕府は強大な権力を持っていました。幕府の指さじ加減で改易されると、藩の家族を含め数千名が浪人となって路頭に迷うことになる。各藩は藩主を頂点に地方自治の独立国家でした。したがって、藩主と藩士の絆はこの歌詞にあるように強く結ばれていました。このような時代背景の中で事件が起こったのです。しかし人間の本性は数千年の年月で、そう変わるものではありません。。通し番号11番には“されど死するはいとやすく,生くるは難き習いなり”とありますが、心の奥には生きたいという思いが込められています。また、“かけ来る一人の大男 まだ十七の右衛門七に”や“大石主税良金と名乗る 二八の少年に“がいかに生きたかったか、その心情を察するに余りあるのです。討ち入り事件後、一般民衆は事件を忠義の行いであり、「幕府の片手落ちの裁定」に対して義士たちは情をつくし、誠をつらぬく快挙であるとほめたたえた。人々は人間本来の本性に立ち返り、義士のたちとの共有の場に立ったのでした。討ち入り後、世論は義士救済の方に傾き、人命の尊重の意見が巻き起こりました。当時の学者も意見が真二つに分かれ、幕府は最終決断に時間が費やされた。赤穂義士たちは武士社会の大義を守って行動したのでした。ここに私たちは赤穂義士から現代社会の大義、すなわち平和と人間尊重の精神を学ぶことができます。

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投稿:松崎繁夫 2014年10月18日

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