忠臣蔵のふるさと・播州赤穂の地域紙「赤穂民報」のニュースサイト
文字の大きさ

赤穂民報


  1. トップページ
  2. 文化・歴史
  3. 記事詳細

江戸時代の山境争い遺跡を見学

 2008年07月21日 
石塁の前で上杉太郎さん=右端=の解説を聞く参加者
 江戸時代に尾崎・坂越両村間で山境争論があった尾根を散策するサマーハイクが20日行われ、参加者が当時の境界を示す土塁・石塁を見学した。
 「赤穂市史」によると、入会権をめぐる尾崎村と坂越村の山境争論は1695年(元禄8)に勃発。坂越村が赤穂藩に吟味願いを出し、1809年(文化6)の和解まで1世紀以上にわたって続いた。当時は日常生活で使う燃料としてだけでなく、塩田の釜焚きでも大量の薪が必要だったため、山境の設定は各村にとって重大事だった。土石塁は高さ80センチ前後で延長は不明。築造年代もはっきりしないが、和解後に築かれたものと思われる。
 尾崎公民館行事として開催したハイクには小学生3人を含む尾崎地区の10人が参加した。尾崎トンネル南口脇から石指山(いっさしやま)、亀甲山、南宮山、丸山まで約2キロを縦走し、南宮山頂から東の尾根伝いに土塁と石塁を確認。引率した「尾崎を語る会」代表の上杉太郎さん(66)が歴史的な経緯を現地解説した。
 猛暑の中、約3時間半かけて歩いた尾崎小6年の八木双葉さん(12)は「わざわざあんなところまで薪を取りに行っていたなんてすごい」と先人の暮らしの大変さを思いやった。「石油利権で国同士が戦争していることを思えば、燃料をめぐる争いは今も昔も同じ」と上杉さん。「来年は和解200周年。両地区合同で記念登山ができないかな」とアイデアを話していた。
<前の記事


掲載紙面(PDF):
2008年8月9日(1808号) 3面 (6,990,437byte)
 (PDFファイルを閲覧するにはこちらからAdobe Readerを入手してください。)


コメントを書く

お名前 (必須。ペンネーム可):

メールアドレス (任意入力 表示されません):

内容 (必須入力):

※コメントは投稿内容を赤穂民報社において確認の上、表示します。
投稿ルールを遵守できる方のみご投稿ください。
今週のイベント・催し
23
(月)
 
24
(火)
25
(水)
26
(木)
27
(金)
 
28
(土)
 
29
(日)

最新のコメント

  • JR播州赤穂駅「みどりの窓口」11月末で廃止←うーん(11/25)
  • 《市民病院医療事故多発》科長が治療実績の不正付け替え提案←t(11/24)
  • JR播州赤穂駅「みどりの窓口」11月末で廃止←太郎(11/23)

各種お申込み

以下より各お申込み、資料請求フォームにリンクしています。ご活用下さい。

スマホサイトQRコード

スマホ用URLをメールでお知らせ!
e-mail(半角入力)


ドメイン指定受信をされている方は「@ako-minpo.jp」を指定してください。

閉じる
中村唯心堂 中道工務店 矢野防水工業 赤穂メモリアルホール 野中砂子土地区画整理組合 花岳寺 兵庫県警
閉じる
中村唯心堂 中道工務店 矢野防水工業 赤穂メモリアルホール 野中砂子土地区画整理組合 花岳寺 兵庫県警