赤高ナイン熱戦譜(21)ナインを支えた人たち
2015年06月13日
昭和28年夏にOBを交えて開かれた紅白戦の集合写真。奥に寄贈の鉄骨で出来たバックネットが見える=木村國勇さん提供
昭和26年、学校グラウンドに完成した鉄骨製の大バックネット。その資材を寄贈したのはOBの椿太一郎(84)=1回生、箕面市=の父・仙之助だ。
椿は昭和20年に父が生まれた塩屋に疎開。旧制赤穂中に転校して野球部に入り、弟の貞夫(81)=4回生、尼崎市=も入部した。一家は26年春に宝塚へ移住したが、鋼材商を経営していた父が「息子たちがお世話になったお礼に」と鉄骨を贈った。組み立ては岡本鉄工所が請け負い、現役部員たちがはしごを掛けてペンキを塗ったのだという。
加里屋で理容店を営んでいた正木多聞も、当時の部員たちが「本当によくしてくれた」と名前を出す一人だ。
勉強熱心で政治、文化、スポーツなど客の興味に合わせて深い会話ができ、朗らかな人柄は人をひきつける魅力があった。正木の店は赤穂の名士たちが集うサロンで、寺田も客の一人。元々野球好きだった正木は寺田の話を聞くうちに赤高野球部を応援するようになった。選手らも散髪に通い、正木理髪店は野球部の“後援会事務局”のような存在だった。
正木はよく部員たちを数人ずつ自宅に呼び、うどんすきを振る舞った。中広にあった製麺所で大量のうどん玉を買い込み、正木の妻がどんどんゆがいた。戦争が終わって9年が過ぎていたが、まだ「腹いっぱい食えることが幸せ」(木村國勇)だった時代。当時のナインは今でもその恩を忘れていない。(文中敬称略)
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掲載紙面(PDF):
2015年6月13日(2139号) 4面 (11,590,998byte)
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