関福大リレーコラム・子育てを哲学する―(2)なぜ、子どもを可愛く思えないのか
2018年03月03日
【固有と所有といった観点から】
前回、親は子どもから「愛くるしさ」「かけがえのなさ」「尊さ」「厳かさ」といった“恵み”を贈られる、といった話をしました。では逆に、親が子どもに最初に贈るものは何でしょうか。それは“名前”だと思います。この“名前”には、子どもに対する親の最初の「愛情」が詰まっています。
ここでいう「愛情」とは、「“他ならないあなた”は私たちにとって“特別に大切な存在”」という思い・気持ちのことです。“他ならないあなた”とは“固有な存在”という意味です。よって、愛情とは、“固有な存在”を特別に大切と思う気持ちのことです。
親は、その愛情が故に子どもの幸せを願います。だから「いい成績を取って欲しい」「いい学校に入って欲しい」「親の言うことを聞いて欲しい」と思います。こうしたこと自体は悪いことではありません。しかし、「愛情」が子に対する「親の願望・欲望」に変質すると、愛情はその本質を失い、「親のエゴ」になってしまいます。このとき、子どもは固有な存在であることを止め、「こういう子ども(例えば、成績優秀な子ども、サッカーが上手な子ども………)を持ちたい」と願う親の所有物に格下げされてしまいます。
親のエゴ(自己中心性)が強くなると、親の期待に応えられない子どもは可愛く思えなくなります。そうした親の気持ちを子どもは察し、子どもの気持ちが親から離れていきます。そうすると、さらに子どもを可愛く思えなくなります。
なぜ、子どもを可愛く思えなくなるのか。理由はさまざま考えられます。その理由の1つとして考えられることが、今回お話した、固有な存在である子どもを、まるで自分(親)の所有物のように思ってしまうことです。
子どもは親の所有物ではありません。親とは別の人生を歩んでいる固有な存在であり、その人生の主人公です。だから、意見も言えば反抗もします。しかし、それは固有な存在であることの“証し”であり、尊いことです。別の人生を歩んでいる固有な存在が、私たちの“かけがえのない子ども”として与えられています。このことに気づいたとき、子どもが私たち親に贈ってくれている「愛くるしさ」「かけがえのなさ」「尊さ」「厳かさ」といった“恵み”を、再び感じることができるのではないでしょうか。(中村剛・社会福祉学部 学部長)
掲載紙面(PDF):
2018年3月3日(2269号) 3面 (11,480,199byte)
(PDFファイルを閲覧するにはこちらからAdobe Readerを入手してください。)
前回、親は子どもから「愛くるしさ」「かけがえのなさ」「尊さ」「厳かさ」といった“恵み”を贈られる、といった話をしました。では逆に、親が子どもに最初に贈るものは何でしょうか。それは“名前”だと思います。この“名前”には、子どもに対する親の最初の「愛情」が詰まっています。
ここでいう「愛情」とは、「“他ならないあなた”は私たちにとって“特別に大切な存在”」という思い・気持ちのことです。“他ならないあなた”とは“固有な存在”という意味です。よって、愛情とは、“固有な存在”を特別に大切と思う気持ちのことです。
親は、その愛情が故に子どもの幸せを願います。だから「いい成績を取って欲しい」「いい学校に入って欲しい」「親の言うことを聞いて欲しい」と思います。こうしたこと自体は悪いことではありません。しかし、「愛情」が子に対する「親の願望・欲望」に変質すると、愛情はその本質を失い、「親のエゴ」になってしまいます。このとき、子どもは固有な存在であることを止め、「こういう子ども(例えば、成績優秀な子ども、サッカーが上手な子ども………)を持ちたい」と願う親の所有物に格下げされてしまいます。
親のエゴ(自己中心性)が強くなると、親の期待に応えられない子どもは可愛く思えなくなります。そうした親の気持ちを子どもは察し、子どもの気持ちが親から離れていきます。そうすると、さらに子どもを可愛く思えなくなります。
なぜ、子どもを可愛く思えなくなるのか。理由はさまざま考えられます。その理由の1つとして考えられることが、今回お話した、固有な存在である子どもを、まるで自分(親)の所有物のように思ってしまうことです。
子どもは親の所有物ではありません。親とは別の人生を歩んでいる固有な存在であり、その人生の主人公です。だから、意見も言えば反抗もします。しかし、それは固有な存在であることの“証し”であり、尊いことです。別の人生を歩んでいる固有な存在が、私たちの“かけがえのない子ども”として与えられています。このことに気づいたとき、子どもが私たち親に贈ってくれている「愛くるしさ」「かけがえのなさ」「尊さ」「厳かさ」といった“恵み”を、再び感じることができるのではないでしょうか。(中村剛・社会福祉学部 学部長)
<前の記事 |
掲載紙面(PDF):
2018年3月3日(2269号) 3面 (11,480,199byte)
(PDFファイルを閲覧するにはこちらからAdobe Readerを入手してください。)
[ かしこい子育て ]
関福大リレーコラム・正しく生きるための第四歩〜他者の尊厳を開示する 2021年05月15日関福大リレーコラム・正しく生きるための第三歩〜良い結果を導く行為 2021年04月03日関福大リレーコラム・正しく生きるための第二歩〜義務に適った行為について 2021年02月27日関福大リレーコラム・倫理学への招待〜正しく生きるための第一歩〜 2021年02月07日関福大リレーコラム・食べる=生きる土台(4)正しい箸使用で心豊かに 2021年01月30日関福大リレーコラム・食べる=生きる土台(3)日本の行事食の豊かさにふれる 2021年01月16日関福大リレーコラム・食べる=生きる土台(2)食べ物の好き嫌いからみえること 2020年12月05日関福大リレーコラム・食べる=生きる土台(1)しっかりと噛むことが大切 2020年11月21日関福大リレーコラム・情報モラルは人としての道徳 2020年11月01日関福大リレーコラム・学校と家庭のICT 2020年10月12日関福大リレーコラム・メディアリテラシーが家族を救う 2020年10月03日関福大リレーコラム・子どもにとってスマホはゲーム機―ルールを決めてスマホを健全に使う 2020年09月05日関福大リレーコラム・消し去ってはダメな言葉 2020年08月01日関福大リレーコラム・日本の良さ 2020年04月04日関福大リレーコラム・かしこい人に 2020年03月07日
コメントを書く