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山鹿素行のお話(9)赤穂での著作と教育(その二)

 2019年09月27日 
 山鹿素行の赤穂での流謫生活も長くなると、お上の規制も大分ゆるくなり、北は若狭野、東は坂越付近まで自由に外出でき、素行が30歳の頃、赤穂藩士として初めて赤穂に来た時と同じような暮らし向きになりました。
 昔と違う事は、次世代を担う大石内蔵助ら藩士の子弟達に対面によってゆっくり時間をかけて学問を教えられるようになったことで、素行は教える度に内蔵助らの透き通った黒い眼の奥に煌々と輝く求道心を感じ、自身の心を煽られたことでありましょう。
 寛文9年(1669年)、そうして出来たのが素行学の最高傑作といわれる『中朝事実』です。おそらく素行は、この赤穂の地をくまなく観察した時、坂越の人々が秦河勝や児島高徳を偲んでいる事や有年の古墳群、そして東浜西浜に広大に広がる塩田等々に歴史の重みを感じたのに違いなく、そうした古代からの歴史文化を大事にする赤穂の豊かな暮らしぶりに後押しされるかのように、素行の創作活動のスイッチが入り一気に書き上げたものと考えられます。
 内容は日本書紀をベースに、神武天皇より天皇家が連綿と継承され、それによって日本は中国のような易姓革命(血で血を争う覇権戦争)もなく、人々が安心して暮らせる社会が構築されており、これからもこの基本を守りながら精進すべきであるとの主旨です。詳しくは、平成30年赤穂で講演して頂いた荒井桂氏の「山鹿素行『中朝事実』を読む」に書かれていますのでお読みください。
 山鹿素行が書いた『中朝事実』は、吉田松陰に受け継がれ、そして明治維新を経て列強との争いになった時、乃木希典陸軍大将に引き継がれ、小国の日本が勝利を収めた原動力になったと評されています。乃木は、昭和天皇にこの本の重要な点に傍線を引き自ら読みあげて上奏しています。
 『中朝事実』の草稿は、赤穂流謫中に完成されたものなので、世間に直ぐ出回ることはなく、その後山鹿素行を召し抱えた最大の後ろ盾であった浅野長直が逝去し、悲しみにくれる日々が暫く続きます。そうした時、素行を批判してきた保科正之も死去し、ここに歴史の歯車はまたまた大きく動き始めました。
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掲載紙面(PDF):
2019年9月28日号(2341号) 4面 (9,591,876byte)
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