正倉院展に山崎昭二郎氏を偲ぶ
2019年11月09日
在りし日の山崎昭二郎氏=昭和38年、中尊寺金色堂
山崎氏は1927年に加里屋の塩問屋の長男に生まれ、赤穂中から東京美術大学(現東京藝術大学)へ進んだ。美術学部工芸科図案部で文様学の権威、小場恒吉(おば・つねきち)教授に師事。古代文様の彩色技法を習得した。大学卒業後は家業を継ぎつつ、平等院鳳凰堂をはじめ数多くの社寺建築で彩色文様の復元や保存に従事した。
年譜を見ると、担当した文化財には、醍醐寺五重塔、中尊寺金色堂、唐招提寺、厳島神社など日本が誇る名だたる歴史的建造物が並ぶ。52歳で文化庁より建造物彩色選定保存技術保持者に全国で初めて認定。後継者の育成にも力を注ぐ中、93年に66歳で死去した。
粉地彩絵八角几は東大寺の法要で用いられたとされる供物を載せる台。鮮やかな花模様が特徴で、正倉院に伝わる多くの台の中で最も華麗と言われている。その復元模造に携わったのは47歳から。2年間かけて奈良に通い、調査と彩色を手掛けた。宝物に触れることは許されず、宮内庁の職員2人が両横から見つめる中での作業だったという。
妻の昭子さん(92)=加里屋=によると、「あんまり光が当たったら御物に良くないんでしょうかね。薄暗い部屋での作業やったと言うてました。主人は作業の前に体を拭いて、肌着まで全部着替えてから仕事に掛かったそうです」。
今回の正倉院展で展示されているのは原宝物。同庁正倉院事務所によると、山崎氏が手掛けた復元品も77年と92年に出品されたことがあり、またいずれ展示機会が巡ってくると思われる。昭子さんは「主人が丹精込めた仕事が未来も残っていくことはうれしいですし、誇りに思います」と語った。
<前の記事 |
掲載紙面(PDF):
2019年11月9日号(2347号) 3面 (6,821,506byte)
(PDFファイルを閲覧するにはこちらからAdobe Readerを入手してください。)
大和文華館長の講演「忠臣蔵の浮世絵」 市民ミュージカル公演へ稽古佳境 嵯峨御流のいけばな社中展 [ 文化・歴史 ] 2016年02月06日邦楽の調べで義士の命日偲ぶ [ 文化・歴史 ] 2016年02月04日「お盆の思い出」絵画コンで優秀賞 播磨の墳墓に見る弥生期の風習 [ 文化・歴史 ] 2016年02月02日赤穂城址の四季写真展 [ 文化・歴史 ] 2016年01月28日赤穂小金管バンド 念願の金賞 国際芸術祭の広域連携事業に採択 [ 文化・歴史 ] 2016年01月23日姫路市美術展に8人入賞・入選 [ 文化・歴史 ] 2016年01月21日絵画と写真で尼子山の魅力再発見 [ 文化・歴史 ] 2016年01月16日県文化財の大黒舞に待望後継者 [ 文化・歴史 ] 2016年01月01日赤穂と山鹿の絆が漫画に [ 文化・歴史 ] 2015年12月13日忠臣蔵を熱演 山科こども歌舞伎 個性と感性ほとばしるアート展 [ 文化・歴史 ] 2015年12月12日
コメントを書く