レナウンの基礎築いた尾上設蔵
2020年06月06日
レナウンの基礎を築き事業拡大した功労者とされる尾上設蔵
同社が社史編纂にあたり収集した資料メモなどによると、設蔵は赤穂にあった「恵戸屋」(江戸屋)という屋号の商家の次男に生まれた。大阪に出て百三十銀行に入行する予定だったが、レナウンの前身である「佐々木営業部」に入社した。入社の経緯は諸説あるが、「佐々木家に出入りしていた赤穂出身の呉服屋の紹介」との説が有力で、メモには「佐々木家の使用人はすべて赤穂出身者」とも書かれているという。
設蔵は丁稚上がりながら計数に大変明るく、社長の佐々木八十八(1874―1957)に右腕として重用された。1902年創業の佐々木営業部は舶来物の肌着や香水、ネクタイなどの輸入販売で軌道に乗り、23年に「レナウン」を商標登録。その年に佐々木は区会議員となり政界へと転身した。
佐々木から会社経営を任された設蔵は営業拡大に加え、近代的な在庫管理手法を導入して業績を伸ばした。関東大震災のときは他の問屋が取引先に現金支払いを求めた中、手形取引に応じて大きな信用を得た。また、人脈を駆使して被災地の情報を集め、大量の生活必需品をチャーター船で東京へ送ったという。
設蔵は1940年に53歳で死去した。佐々木営業部は第二次世界大戦の影響などで一旦消滅するが、1947年に長男・清(1911―88)が会社を復興。その5年後に「レナウン商事」に社名変更すると、積極的な企業経営と宣伝販促で総合アパレルへの発展の道を突き進んだ。
社史は設蔵を「基礎を築き事業拡大した功労者」「働くのが趣味か道楽かといわれたほどのモーレツ型」と紹介。清については「中興の祖」「厳しさと優しさが同居した、情感の豊かな人」などと記し、創業者の佐々木とともに「佐々木営業部〜レナウンをつくった男たち」として称えている。
尾上家は現在の田中町児童遊園のあたりにあったという。郷土史家の上杉太郎さん(77)によれば、如来寺の建て替え費用の寄付記録(1928年)に「尾上設蔵」の名前で「五拾円」が寄付されている。ちなみに、尾崎小学校の校歌を作曲した尾上民蔵とは従兄弟の関係。また、赤穂高校で昨年度の卒業生までが着用した女子制服のデザインを手掛けた田中千代(1906―99)は元々佐々木営業部で子供服の意匠を担当するなど設蔵や清と親交が深かった。
余談だが、佐々木の三女で子供服メーカー「ファミリア」を創業した坂野惇子(1918―2005)をモデルとしたNHK連続テレビ小説『べっぴんさん』では、佐々木営業部は「坂東営業部」、レナウンは「オライオン」として描かれ、設蔵は名倉潤が演じた「野上正蔵」、清は高良健吾が演じた「野上潔」のモデルとなった。
同社は、バブル崩壊後は長く経営不振が続き、起死回生を託した中国企業との提携も頓挫。新型コロナによる危機を脱することができず、今後は民事再生手続によって再建を目指す。震災や戦争といった試練を乗り越えて会社を発展させた設蔵や清が、もし現代に生きていればどうしただろうか。
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掲載紙面(PDF):
2020年6月6日(2373号) 4面 (9,147,827byte)
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