忠臣蔵のふるさと・播州赤穂の地域紙「赤穂民報」のニュースサイト
文字の大きさ

赤穂民報


  1. トップページ
  2. 文化・歴史
  3. 記事詳細

【特別寄稿】山鹿素行のこと(上)

 2009年09月12日 
◆赤穂城跡公園の銅像の人
 播州赤穂と言えば、“義士の町”ですが、その義士精神の源は山鹿素行にあると言われています。あの赤穂城跡公園に建てられている銅像の人です。
 素行は江戸時代初期の儒学者、兵学者です。幼い頃から広く学問を身につけ、一介の浪人でありながら若くして江戸で門弟3000人を抱えていたそうです。
 刃傷事件を起こした浅野長矩の祖父・長直は、素行を見込んで禄高1000石で浅野藩に招き、素行は長直の人柄に感じて招聘に応じ、江戸住まいながら8年間を赤穂藩に身を置きました。その後、藩を去って幕府の朱子学を批判する自説を命がけで発表したため赤穂に流され、9年間をこの地で過ごしました。
 この期間は、大石良雄が8歳から17歳の最も多感な時期にあたります。素行の影響が義士の行動によく表れているというのが定説になっています。
 長州の吉田家は、素行の嫡子・高基から山鹿兵法を伝授されて素行学を家学とし、松陰も幼少の頃から素行学の薫陶を受けました。彼は若くして山鹿兵学を自らのものとし、素行精神の実践者として維新運動の先頭に立ちました。吉田松陰は、30歳で刑場の露と消えましたが、私塾・松下村塾の主宰者としてわずか3年の間に高杉晋作をはじめ、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋など、明治維新の指導者はじめ新しくできた明治政府を率いる多くの人材を育てたことはあまりにも有名です。
 素行精神は、その後さらに乃木大将、東郷元帥などへと引き継がれました。元禄事件、明治維新、日露戦争など、わが国で長く語り継がれるいくつもの出来事に山鹿素行が関係していたのです。このような我が国の歴史に大きな影響を与えた人がこの町に住んでいたことを赤穂の人は忘れてはなりません。(つづく)

 赤穂山鹿素行研究会 会長 木山正規
<前の記事


関連サイト:
【関連記事】“義士の師”を顕彰 山鹿素行全国フォーラム


掲載紙面(PDF):
2009年9月12日(1863号) 1面 (7,783,497byte)
 (PDFファイルを閲覧するにはこちらからAdobe Readerを入手してください。)


コメントを書く

お名前 (必須。ペンネーム可):

メールアドレス (任意入力 表示されません):

内容 (必須入力):

※コメントは投稿内容を赤穂民報社において確認の上、表示します。
投稿ルールを遵守できる方のみご投稿ください。

8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18

今週のイベント・催し
23
(月)
 
24
(火)
25
(水)
26
(木)
27
(金)
 
28
(土)
 
29
(日)

最新のコメント

  • 「今も昔もボール追う子の目は同じ」尾崎野球少年団50周年←元同級生39(11/23)
  • JR播州赤穂駅「みどりの窓口」11月末で廃止←市民(11/23)
  • JR播州赤穂駅「みどりの窓口」11月末で廃止←不満です(11/23)

各種お申込み

以下より各お申込み、資料請求フォームにリンクしています。ご活用下さい。

スマホサイトQRコード

スマホ用URLをメールでお知らせ!
e-mail(半角入力)


ドメイン指定受信をされている方は「@ako-minpo.jp」を指定してください。

閉じる
中村唯心堂 中道工務店 矢野防水工業 赤穂メモリアルホール 野中砂子土地区画整理組合 花岳寺 兵庫県警
閉じる
中村唯心堂 中道工務店 矢野防水工業 赤穂メモリアルホール 野中砂子土地区画整理組合 花岳寺 兵庫県警