忠臣蔵のふるさと・播州赤穂の地域紙「赤穂民報」のニュースサイト
文字の大きさ

赤穂民報


  1. トップページ
  2. 文化・歴史
  3. 記事詳細

ふすま下張りから江戸期古文書

 2012年02月25日 
ふすまの下張りに使われていた古文書。手前は当時の“避難所マップ”とみられる木版画の絵図
 かつて大庄屋だった旧家に残っていた古ふすまの下張りから、江戸時代を中心とした大量の古文書が見つかり、市内の歴史研究グループが解読を進めている。総数1000点以上あるとみられ、郷土史の一級資料として注目される。
 古ふすまは東有年の沖知道さん(71)方の土蔵にあった。江戸期に有年組の大庄屋を務め、「柏屋」の屋号で旅籠を営んだ家柄。母屋は知道さんが中学生のころに老朽化で壊れて建具類も廃棄されたが、造りが丈夫な土蔵は残った。
 沖さんの話では、3年ほど前に土蔵2階で古びたふすまが7〜8枚あるのを発見。破れ目から毛筆書きの和紙が見えた。水で湿らせて一枚一枚はがすと、衣装ケース6箱分以上の量になった。「何が書いてあるのか知りたい」と思い、「赤穂古文書研究会」に入会。一年ほど前から会員の協力を得て文面の翻刻に取り組んでいる。
 市立図書館に月1〜2回集まり、これまでに約100枚を解読できた。大庄屋としての日誌、旅籠の宿帳をばらして下張りに再利用したとみられ、年号では「元和」「元禄」「宝暦」など17世紀前半から18世紀にかけてのものが多いという。
 内容を見ると、藩からの触れや雨乞い祈願の記録、娘を奉公に出す親からの届出や村人の喧嘩仲裁など内容はさまざま。参勤交代の大名一行に用意した食材や布団の数などを記したものもある。
 沖さん宅では、赤穂市と有年村の合併(昭和30年)を機に市教委が有年地区の旧家で行った調査で慶長年間のものなど古文書157点が確認されている。沖さんは亡くなった母から「これは大事なもんやから、ほおっちゃいかん」と子どものころから教えられ、水害の度に蔵の2階へ避難させていたという。古ふすまも2階にあったために難を逃れた。
 同じ土蔵からは「有年驛御本陣御退場絵圖」の題名の版木(縦33・5センチ、横45・5センチ)も見つかった。有年宿の中心部にあった本陣から周辺寺院までの距離を示しており、当時の“避難所マップ”とみられる。
 研究会の代表世話人で市文化財保護審議委員でもある坂越の粟井ミドリさんは「街道筋の動きを事細かに知ることができ、おもしろい」と史料としての価値を評価。沖さんは「ご先祖が書き残したもの。時間はかかっても、一つ一つ読み解いていきたい」と話している。
<前の記事


掲載紙面(PDF):
2012年2月25日(1981号) 1面 (7,235,155byte)
 (PDFファイルを閲覧するにはこちらからAdobe Readerを入手してください。)


コメント

これは貴重ですね。
時代劇ではない、当時のリアルな生活をぜひ知りたいです。

0  0

投稿:内海 2012年02月25日

コメントを書く

お名前 (必須。ペンネーム可):

メールアドレス (任意入力 表示されません):

内容 (必須入力):

※コメントは投稿内容を赤穂民報社において確認の上、表示します。
投稿ルールを遵守できる方のみご投稿ください。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10

今週のイベント・催し
23
(月)
 
24
(火)
25
(水)
26
(木)
27
(金)
 
28
(土)
 
29
(日)

最新のコメント

  • 《市民病院医療事故多発》「膿出し切る必要」現役医師が提言←一般人(12/22)
  • 市教委サーバがウイルス感染 一部データに障害←リテラシーの観点から(12/21)
  • 市教委サーバがウイルス感染 一部データに障害←とむ(12/21)

各種お申込み

以下より各お申込み、資料請求フォームにリンクしています。ご活用下さい。

スマホサイトQRコード

スマホ用URLをメールでお知らせ!
e-mail(半角入力)


ドメイン指定受信をされている方は「@ako-minpo.jp」を指定してください。

閉じる
中村唯心堂 中道工務店 矢野防水工業 赤穂メモリアルホール 野中砂子土地区画整理組合 花岳寺 兵庫県警
閉じる
中村唯心堂 中道工務店 矢野防水工業 赤穂メモリアルホール 野中砂子土地区画整理組合 花岳寺 兵庫県警