赤穂の移民が創始「青島の盆踊り」復活
2015年08月21日
「青島の盆踊り」を伝承しようと島へ渡った長浜公民館地域振興部のみなさん=同公民館提供
昨夏は踊り手不足で行われなかったが、今年は四国本土から応援が駆け付け、2年ぶりに伝統の音頭が島に響いた。
青島は大洲市の長浜港の沖合い約13・5キロに浮かぶ離島。同市によれば、寛永16年(1639)に播磨国坂越浦から与七郎という者が一族など16戸を率いて移住し、お盆の時期に望郷の念などを込めて氏神の前で踊り明かしたのが「青島の盆踊り」の始まりという。
もともとは、過去1年間に亡くなった人を慰霊する「亡者踊り」を14日夜に踊り、豊漁祈願と魚の供養とする「大漁踊り」を15日夜に舞う慣わし。かつては島の出身者も大勢帰省し、島で一年最大のイベントだった。
青島盆踊り保存会の紙本英則会長(64)は「自分が子どものころは四十七士の衣装を着る役に選ばれることは大変な名誉。特に花形の大石内蔵助と大石主税を誰がやるのか、というのが一番の関心事だった」と懐かしむ。
昭和17年の889人をピークに島の人口は減少。現在は12世帯19人でほとんどが80歳を超えているという。島には宿泊施設や商店が一軒もなく、帰省客も縮小。昨年は盆踊りの櫓を組んだものの、一人も踊る人がなかった。
憂えた長浜公民館地域振興部(寺岡正志部会長)が漁船2隻をチャーターして有志13人で渡島。保存会から衣装を借り、亡者踊りを踊った。紙本分館長が太鼓をたたき、島民と帰省客の計4人が私服で踊りの輪に加わった。
「とりあえずは踊ることができて良かった」と寺岡部会長(58)=大洲市長浜甲=。紙本会長は「島民の減少と高齢化が進み、伝承は年々困難になっているが、島民と帰省客のために来年も踊れる場を準備したい」と話していた。
<前の記事 |
掲載紙面(PDF):
2015年8月22日(2149号) 4面 (11,120,927byte)
(PDFファイルを閲覧するにはこちらからAdobe Readerを入手してください。)
文字に魂 篆刻と書画の個展 [ 文化・歴史 ] 2018年04月27日7月に市民能「羽衣」 入場券の販売開始 花の美際立つ「押し花アート展」 [ 文化・歴史 ] 2018年04月25日市文化財の地獄絵を一般公開 高瀬舟船着場跡が観光スポットに [ 文化・歴史 ] 2018年04月19日姫路生まれの板画家 長谷川富三郎展 [ 文化・歴史 ] 2018年04月18日歴史コラム100本『赤穂史百話』 [ 文化・歴史 ] 2018年04月17日後継者育成へ赤穂緞通の研修工房 [ 文化・歴史 ] 2018年04月14日市児童合唱団の歌声がCDに 日本書芸院の審査会で最高の「史邑賞」 [ 文化・歴史 ] 2018年04月10日赤穂書道会展 13日から図書館で [ 文化・歴史 ] 2018年04月07日「女・女・女展」30回記念展 31日まで [ 文化・歴史 ] 2018年03月29日随想100本 米寿の健筆に脱帽 [ 文化・歴史 ] 2018年03月27日還暦バンド 晴れのステージで熱唱 [ 文化・歴史 ] 2018年03月26日30回目の「女・女・女」展 29日から [ 文化・歴史 ] 2018年03月24日
コメント
なにも、お金とかだけじゃなく、人や物を出すのもいいんじゃないかと思います。
なんだか、地元の人間より以上に、赤穂や義士との縁を誇りに思って伝統を守り続けてくれているのがとても嬉しくなります。
1 0
投稿:赤穂義士ネットワーク 2015年08月24日コメントを書く