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森家時代の赤穂城本丸絵図を初公開

 2008年12月04日 
初めて一般公開される森家時代の赤穂城本丸絵図
 明治の廃藩置県まで12代にわたって赤穂藩を治めた森家時代のものとみられる赤穂城本丸御殿間取り図が12月6日(土)から上仮屋の市立歴史博物館(宮本喜彦館長)で初公開される。同時代のものと確認されている「赤穂本丸内水筋絵図面」(赤穂高校蔵)は大まかな建物の輪郭しか描かれておらず、同館は「当時の藩邸の様子を詳細に示す貴重な資料」としている。
 絵図は森家時代に赤穂藩の蔵元を務めた田淵家の分家宅納屋で平成13年に見つかり、持ち主の田淵欣一さん(78)が市に寄贈。のり離れで3片に分断し、虫食いもあったため、昨年1月から京都の業者に預けて修復していた。
 8枚の美濃紙を貼り合わせた継紙に本丸御殿の間取りと天守台、池泉などを墨で描き、縦97センチ、横112センチ。部屋数は約60室で、それぞれ面積を記載。藩主が使ったとみられる「金間」、執務を行った「大書院」など具体的な名称も記され、柱の位置は黒丸で書き込まれている。
 城明け渡しの際に作られた浅野家時代の「赤穂城本丸指図」(龍野歴史文化資料館蔵)と、同家に代わって藩主となった永井家時代の「赤穂御城御殿絵図」(東京大学史料編纂所蔵)との比較では、坪庭に両時代の絵図にはみられない泉水があり、御殿南側の大池泉の形状も異なることから、「森家時代に作られたと推察できる」(市教委)という。
 石高が5万3000石あった浅野家時代には別棟だった小姓部屋がなくなるなど建物全体の規模はおよそ3分の2に縮小。同館の藤田忠彦学芸員は「森家の石高は2万石。藩の財政が窮迫していたことを端的に示しているといえる」と分析し、「引き続き、各年代の絵図との比較や文献との照合を進めたい」と話している。
 森家は宝永3年(1706)に備中国西江原藩より入封。廃藩置県になるまでの165年間在封した。
 赤穂城本丸御殿は廃藩置県から7年後の明治11年(1878)に解体。その廃材は赤穂尋常高等小学校の校舎に再利用された。現在、本丸内にコンクリートで復元されている間取りは永井家時代の絵図に基づいている。
 来年1月12日(月・祝)まで公開。入館料は高校生以上300円、小中学生150円。開館時間は午前9時半〜午後5時で火曜と年末年始(12月28日〜1月1日)は休み。
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掲載紙面(PDF):
2008年12月6日(1824号) 1面 (9,448,123byte)
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