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旧東洋紡赤穂工場の写真を冊子に

 2020年10月10日 
貴重な写真を冊子『生まれ変わった東洋紡績赤穂工場』にまとめた渡瀬博さん
 かつて赤穂市内最多の従業員数を誇り、現在は跡地が商業施設などに姿を変えている旧東洋紡績赤穂工場を記録に残そうと、元社員の男性が工場の過去と現代の写真を集めた冊子をこのほど刊行。工場建設時から戦中戦後の様子など貴重な画像約40点が収録されている。
 同工場は1928年(昭和3)、大阪合同紡績赤穂工場として中広に開業。3年後に東洋紡績に合併された。54年(昭和29)には1935人の従業員を抱え、福利厚生の野球場や理美容室のほか、入院設備を備えた病院もあったという。しかし、経済状況の変化とともに需要が減り、1994年(平成6)に操業停止。2008年(平成20)に工場が解体された。跡地には現在イオン、フレスポが建ち、社宅があった辺りはハーモニーホールや図書館になっている。
 写真集は、同社元社員の渡瀬博さん(90)=細野町=が『生まれ変わった東洋紡績赤穂工場』と題してA4判冊子40ページにまとめた。渡瀬さんは1946年(昭和21)に入社してから定年まで39年間にわたって赤穂工場に勤務。退職後は「東洋紡赤穂OB友の会」の会長を務めた。
 昭和3年4月21日の日付がある写真は建設工事が進む工場を雄鷹台山から撮影したものとみられる。工場敷地内にあった防空壕、工場境壁に設置された「祈皇軍武運長久」の看板といった写真は戦時中に撮影されたとみられ、当時の世相を映し出している。
 これらの写真は工場の廃止が決まった2006年ごろ、資材倉庫2階事務室で机の引き出しに保管されているのを渡瀬さんと当時工場の責任者だった西本賢治さん(故人)が見つけた。西本さんから保管を託された渡瀬さんが引き取り、廃棄を免れたという。
 「諸先輩から、『東洋紡の歴史は赤穂の歴史だ』と言われたことが強く心に残っています」と話す渡瀬さん。会員の高齢化でOB会は7年前に解散し、自身も卒寿となった。「記録を後世に伝えるのが自分の役目」との思いが高まり、今年6月から冊子の編集に取りかかった。正門や社宅があった場所については移り変わりを比較するため同じ場所で今年撮った写真を併載。コピー印刷を家族の協力で簡易製本して30部を手作りした。
 出来上がった冊子は市、ひょうご労働図書館などへ寄贈し、写真は会社へ資料提供した。渡瀬さんは「自分なりに役割を果たせました。工場はなくなりましたが、歴史は受け継がれてほしい」としみじみと語った。
 写真集に関する問い合わせは渡瀬さんTEL090・5090・4514。
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掲載紙面(PDF):
2020年10月10日号(2388号) 1面 (9,169,319byte)
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