市内最大の山城 住民らルート整備
2020年09月19日
地元住民の手で登山ルートと看板が整備された有年山城跡
有年山城は東有年・有年楢原地区にまたがる大鷹山(標高201メートル)にあり、東に千種川が流れ、南に西国街道が通る。市教委発行の『文化財をたずねて』第27号によると、播磨国守護だった赤松範資の子、本郷直頼が初代城主として暦応年間(1338〜42)に居城したとされる。天正5〜7年(1577〜79)には、中国地方へ侵攻した羽柴秀吉の軍勢が毛利・宇喜多勢と戦い、史料に「八幡山」の城として記録されている。
それ以降は歴史の舞台に登場することはなかったが、地元では「城山」や「八幡山の城」の呼び名で古城跡と伝えられ、山頂部を「城台(しろんだい)」と呼ぶ。南側のふもとにある東有年八幡神社の参道奥から約40分で登れるが途中に急峻な場所があり、近年は訪れる人はほとんどなかったという。
自治会は「地元の歴史遺産を知ってもらえるように、もっとたくさんの人が登れるルートを整備しよう」と、一昨年から作業に着手した。数人ずつチェーンソーや鎌を持って月1回のペースで山に入り、八幡神社口の北東約100メートルにある片山薬師堂から、かつて山の中腹にあった炭焼き場を経由して曲輪跡へと続くつづら折りの山道を2年がかりで再開拓。木が生い茂っていた山頂部を伐採し、本丸跡に「有年山城跡 つわものどもの夢のあと」と記した木製看板、登山者の記帳ノートを入れておくポストを設置した。
整備には40代から70代まで20人を超える地元住民が交替で参加した。ほぼ毎回の作業に加わった岩本泰夫さん(65)は「子どもや高齢者にも登りやすくなった。休憩用のベンチを置いたり、もう少し整備したい」と意欲。山城から東へ尾根伝いに400メートルほど進めば赤穂で初めて前方後円墳が見つかった放亀山古墳群があり、そのまま有年公民館方面へ下ることもできる。今後、案内マップを作って公民館などで配布する予定で、寺内正さん(70)は「健康増進の山歩きを兼ねて、郷土の歴史に触れてもらえれば」と話す。
片山薬師堂は国道2号「東有年」交差点から北約100メートルを東折した奥。登山口にある獣害除け金網ゲートの閉め忘れに注意。同交差点の南約100メートルを東折してすぐの「宮前待合所」の空き地に駐車スペースがある。
<前の記事 |
掲載紙面(PDF):
2020年9月19日号(2386号) 1面 (11,884,866byte)
(PDFファイルを閲覧するにはこちらからAdobe Readerを入手してください。)
民俗資料館で「五月人形展」 [ 文化・歴史 ] 2014年04月28日総合学習で郷土の遺跡見学 地獄絵に教えられる因果応報 [ 文化・歴史 ] 2014年04月27日市民ボランティアが「塩田案内人」 [ ボランティア ] 2014年04月26日26日と27日、春の山野草展 [ 文化・歴史 ] 2014年04月25日画家の道65年「田中繁雄展」 [ 文化・歴史 ] 2014年04月24日27日、2年に一度「御絵解法要」 「曳きとんどを後世に」報告書とDVD [ 文化・歴史 ] 2014年04月21日タイガーマスクから続く善意 [ ボランティア ] 2014年04月20日高光院殿を追善、三百五十遠忌法要 [ 文化・歴史 ] 2014年04月20日「トロンボーンの良さ知って」40人合奏 [ 文化・歴史 ] 2014年04月20日内蔵助銅像とりく日本人形 [ 文化・歴史 ] 2014年04月20日赤穂書道会が第40回展 [ 文化・歴史 ] 2014年04月16日市身障者協会が車いす2台寄贈 [ ボランティア ] 2014年04月14日70年ぶり、義士偲ぶ「乙女」の歌声 [ 文化・歴史 ] 2014年04月13日
コメント
ネットで見掛けたのですが
0 2
投稿:にじ 2021年09月19日コメントを書く