温泉で疲れ解消? 義士の自筆書状
2013年02月09日
湯治宿の手配を頼んだ原惣右衛門の自筆書状=同館提供
江戸急進派との話し合いを終え、討ち入りを決意して大坂に戻った惣右衛門が、湯治宿の手配を知人に依頼する内容で、木曽こころ学芸員は「浪士の動向を示す貴重な資料として興味深い」と話している。
書状は縦27・1センチ、横40・6センチで軸装。平成20年度に入手した市教委が内容を分析し、今回初めて一般公開した。
「六左衛門」という人物へ宛て、日付は「四月六日」。「去年の夏に赤穂を離れた後、初秋に江戸へ下り、この春に帰ってきた」と書いていることから、赤穂浅野家断絶の翌年(元禄15年)の書状とみられる。
「3年ほど前に身寄りの者が利用し、勝手がよかった」と、「俵屋」という宿を指定している。同館によると、「六左衛門」の素性は不詳。「俵屋」は元文2年(1737)の有馬温泉の絵図に同名の宿屋が確認できるという。断定はできないが、大坂から比較的近距離の有馬を湯治場に選んだ可能性もある。
自身の体調について、「去年から病気で体が痛い」と打ち明けるくだりも。惣右衛門は前年の8月下旬、討ち入りを急ごうとする堀部安兵衛らを抑えるために大石内蔵助の指示で江戸へ向かうが、逆に説得されて急進派に転向。赤穂事件研究家の佐藤誠氏(40)=東京都西多摩郡=は「この時期は肉体的にも精神的にも相当に疲れがたまっていたのでは」と推測する。
書状では、「連れの者を含めて4〜5人で参ります」「女の病人も一人召し連れる」とした上で、女が入湯する際に囲いとして使用する幕を宿で借用できるかどうか尋ねるなど事細かに気を配っている。当時、「女」は妻や下女を指して使うのが一般的。討ち入りを決心した惣右衛門がやがて離ればなれになる妻を思いやっての温泉旅行だったのかも知れない。
2階義士コーナーで公開(期間未定)。惣右衛門が熊本藩細川家の家臣、堀内伝右衛門に書き与えた「浅野内匠家来口上」も並べて展示している。午前9時〜午後5時。水曜休館。大人200円、小中学生100円。電話43・4600。
<前の記事 |
掲載紙面(PDF):
2013年2月9日(2026号) 1面 (14,397,826byte)
(PDFファイルを閲覧するにはこちらからAdobe Readerを入手してください。)
自筆の花押入り 山鹿素行の書状 [ 文化・歴史 ] 2018年09月22日山鹿素行の思想テーマに講演会 獅子舞6団体出演 24日に伝統文化祭 「坂越の嫁入り」神戸の企業が事業化 7部門66点入賞 16日まで市美術展 [ 文化・歴史 ] 2018年09月12日故粟田哲也さんの遺稿集『鉄弥と文芸作品』 [ 文化・歴史 ] 2018年09月01日ピアノ全国大会で金賞 元塩町の馬場未宙さん 赤穂小金管クラブが金賞 関西代表決定 トールペイントとクラフト展 [ 文化・歴史 ] 2018年08月09日絵マップコンクールの作品募集 30回目の定演 12日に市民合唱団 忠臣蔵浮世絵2000点をネット公開 [ 文化・歴史 ] 2018年07月30日次世代へ託す「ふるさと讃歌」 [ 文化・歴史 ] 2018年07月28日義士祭出演目指して「やり踊り」 [ 文化・歴史 ] 2018年07月28日上達願い書道パフォーマンス [ 文化・歴史 ] 2018年07月26日
コメントを書く