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使命に殉じた消防人に哀悼

 2015年04月05日 
「消防殉職者慰霊祭」で焼香する消防団員
 赤穂市消防団による3年に一度の「消防殉職者慰霊祭」が5日、顕彰碑が建つ城南緑地公園駐車場であり、団員とOBら約200人が参列した。 
 赤穂市では、昭和24年4月に赤穂町消防団の八木一治郎副団長(享年49歳)が旧高雄村で出火した林野火災で消火活動中に殉職。昭和45年4月には大津すくも谷で発生した林野火災で第9分団の大谷一郎分団長(同42歳)と山田三代治班長(同37歳)、大田正幸団員(同32歳)の3人が亡くなった。
 慰霊祭では、真光寺住職が読経する中、遺族や分団長らが順に焼香して碑に手を合わせた。望月昌次団長は追悼の辞で「諸霊が身をもって示された勇猛果敢な消防精神を亀鑑として、全団員一丸となって努力精進する覚悟です」と誓いを立てた。
 昭和45年の山林火災のとき8歳だった第9分団の現分団長・大西道務(みちかね)さん(53)=高野=は「山が真っ赤に燃えていたのを覚えています」と当時を振り返り、「団員の安全を確保しつつ、人命と財産を守る使命を全うしたい」と決意を話していた。
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掲載紙面(PDF):
2015年4月11日(2131号) 3面 (10,696,364byte)
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[ 社会 ]


コメント

当時、消防団員召集するはサイレンではありませんでした。火の見櫓の半鐘でした。けたたましく半鐘が鳴って、父が出動して行った事を記憶しています鎮火後、父に連れられ、三名の方が殉職された場所に行ったことを記憶しています。あれから四十五年が過ぎ、消防団装備も進化してます。二度とこの様な惨事が無い事を願っています。ちなみに私は、現役消防団員です。

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投稿:遠い記憶 2015年04月05日

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