頑固一徹 義士顕彰に生涯懸けた男
2017年08月26日
在りし日の平尾孤城氏=遺族提供
孤城は塩屋村長だった杉松を父に明治34年に生まれた。閑谷中で首席をとるほど学業優秀だったという。国学院大学高等師範部で歴史・哲学を専攻。後に『正史赤穂義士』を著した日本史学者の渡辺世佑(1874−1957)から教えを受けた。大学を卒業して台湾で教職に就き、昭和4年に赤穂中(現赤穂高)へ着任。教壇に立ちつつ義士研究に勤しんだ。同23年にGHQの占領政策で教職追放された後も志を曲げず、亡くなるまで学究を続けた。
全国各地を飛び回って義士史料を収集し、研究成果を『忠臣蔵の表裏』『人間赤穂浪士』など多数の著書や論文にまとめた。義士一人一人の個性や逸話を平易な言葉と巧みな話術で語る講演は、「芝居よりもおもしろい」と聴衆をひきつけた。昭和29年公開の松竹映画「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」では歴史考証を担当。赤穂義士会理事長として義士史跡の保存を提唱し、赤穂城大手門・大手隅櫓の復元にも力を尽くした。
昭和33年には当時の小幡栄亮市長とともに吉良町を訪れ、赤穂市との和解に至る扉を開いた。赤穂商工会議所専務理事、ボーイスカウト赤穂第一団の初代団長も務め、歴史研究だけでなく地元経済振興、青少年育成など幅広い分野で郷土の発展に貢献。塩屋小学校、赤穂西中学校の校歌を作詞したことでも知られる。
曲がったことが嫌いで反骨精神が強かったという。赤穂中に勤務していた戦時中、「食糧増産のために学校の運動場を開墾せよ」との命令にグランドの周囲だけを畑にし、「教練をするためにおいてある」と抵抗。生徒を一人でも多く予科練に志願させるように県から求められたときは「予科練だけが国に尽くす道ではない」と役人にかみついた。本人は後に新聞社のインタビュー取材に「私は国粋主義者だが、軍国主義者ではない」と語っている。
昭和27年に教職追放が解除されて復職を勧められたときも「一度追放しておいて戻れとは何事か」と断ったという頑固な性格だった一方、妻の留袖で女装して仮装行列に登場したり、宴席で余興芸を披露したり気さくな一面も。動物が大好きで犬、猫、ヤギ、アヒル、金魚にカナリアと自宅と庭はペットであふれていた。酒、たばこはたしなまず、三女の真美子さん(63)=古浜町=は「父の日常で一番覚えているのは、離れの出窓のそばで朝夕静かにお茶を飲んでいた姿です。煎茶が好きで、茶盆を用意して自分でいれていました」と思い出を話す。
昭和42年8月30日、がん性腹膜炎で66歳で亡くなった。孤城が集めた古文書や藩札、書籍など1723点は遺族から赤穂市へ寄贈された。小幡市長(当時)は「赤穂義士会報」に寄せた追悼文で「義士顕彰を通し赤穂の名声を高められた功績は、郷土史に銘記して永久に感謝に価いするものである」と称えている。
<前の記事 |
掲載紙面(PDF):
2017年8月26日(2243号) 4面 (12,989,584byte)
(PDFファイルを閲覧するにはこちらからAdobe Readerを入手してください。)
景観形成重要建造物に「坂越まち並み館」 [ 文化・歴史 ] 2023年03月01日江戸期の赤穂塩業 塩田開発や経営の側面から考察 [ 文化・歴史 ] 2023年02月28日日本遺産写真展 最優秀賞に武村晴人さん「追憶」 [ 文化・歴史 ] 2023年02月28日素直な歌声にほっこりと 5日に児童合唱団の定演 赤穂緞通の図録冊子を自費出版 [ 文化・歴史 ] 2023年02月18日山鹿素行が築かせた石垣 赤穂城二之丸門 [ 文化・歴史 ] 2023年02月18日第38回赤穂民報習字紙上展の入賞者 広重から近現代まで「華」版画展 [ 文化・歴史 ] 2023年02月17日福浦の奥道一二美さん 趣味の水彩画展 [ 文化・歴史 ] 2023年02月15日「一部浪士の脱盟は広島藩の意向か」義士会講演会 [ 文化・歴史 ] 2023年02月12日播磨各地の城下町 発掘成果の特別展 [ 文化・歴史 ] 2023年02月10日日本遺産写真展 図書館で3日から [ 文化・歴史 ] 2023年02月02日赤穂の魅力再発見講座 有年山城のフィールドワークも 故西山松之助氏 生誕110年記念で特別展 [ 文化・歴史 ] 2023年01月25日塩竈神社など日本遺産文化財に説明板 [ 文化・歴史 ] 2023年01月22日
コメント
0 0
投稿:赤穂民報 2017年08月26日0 0
投稿:どんな考えで大手隅櫓の「復元」に携わられたのでしょう 2017年08月26日コメントを書く