朝ドラ「なつぞら」と赤穂の意外なつながり
2019年07月20日
31歳ごろの大田耕士=1941年1月撮影、長女・園サトルさん提供
耕士は18歳で教員資格を取得し、加古郡野口村の野口尋常高等小学校の代用教員となった。戦時中は徴兵され中国戦線に送られた。戦後は教壇に戻らず、子ども自身が思考して作品を仕上げていく版画の教育効果を広めようと、道具や材料を担いで全国各地を巡った。1951年に日本教育版画協会を創立。機関誌「はんが」で紙版画の手法を発表し全国に普及させた。海外17か国で教育版画展を開くなど、89歳で亡くなるまで教育版画の振興に尽くした。
本人の手記などによると、生家は加里屋の息継ぎ井戸の近くにあり、代々庄屋、名主をつとめた。「祖父の頃は紺屋で、赤穂緞通の糸を染めたりしていた」という。9人きょうだいの四男で本名は末夫。日本画家だった兄の雅号・耕緑にあやかり「耕士」と名乗った。小学4年のころ、相生へ転居した。
朱美さんは耕士の次女で、東映動画(現東映アニメーション)でアニメーターとして奥山らとともに作品を制作した。同僚だった宮崎駿さんと結婚。宮崎さんは後にスタジオジブリを立ち上げ、『となりのトトロ』『千と千尋の神隠し』などの名作を生んだアニメ界の巨匠。代表作の一つ『魔女の宅急便』には、耕士が指導に赴いた青森県八戸市立湊中学校養護学級の子どもたちの共同制作版画「星空をペガサスと牛が飛んでいく」をモデルにした劇中画が作中の重要な要素として登場する。
教員時代に反戦平和教育を推進する「新興教育運動」に傾注していた耕士は戦時色が強まる中の1941年2月、仲間と刊行した風刺漫画誌が政治的だとして検挙され、1年3か月に及ぶ獄中生活を強いられた。耕士のように治安維持法によって弾圧された平和主義者や知識人、文化人は全国で数十万人に上るとも言われ、そうした犠牲者の名誉回復と謝罪、賠償を求める請願が全国407の市区町村議会で採択されている(今年5月1日時点、趣旨採択含む)。
赤穂市議会にも昨年3月に初めて請願が出されたが、「現在の政府に賠償を求める根拠は認められない」「国会でやるべきこと」など反対意見が大勢で、賛成少数で不採択となった。
石川県志賀町で毎年開かれている「全国こども版画コンクール」は最高賞を「大田耕士記念大賞」とし、功績を称えている。耕士は昨年で没後20年を迎えたが、法的には未だ名誉は回復されていない。請願者の一人、平成町の元小学校長、北野勝子さん(71)は「署名運動を継続するなどして被害の事実を風化させず、準備が整い次第、再び請願したい」と話している。
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掲載紙面(PDF):
2019年7月20日号(2333号) 3面 (9,976,627byte)
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