70年前の幻の名曲「義烈行」
2013年10月12日
赤穂高校の前身である赤穂高等女学校の教諭が元禄赤穂事件を題材に作詞作曲した叙事詩歌「義烈行(ぎれつこう)」を後世に残そうと、当時の教え子たちが約70年前に発行された歌詞の小冊子や楽譜をこのほど探し出した。
GHQの言論統制で戦後に封印されながらも、青春時代の大半を戦争で失った生徒たちが「義烈行を歌ったことが一番の楽しかった思い出」と口を揃える“幻の名曲”。「歌詞もメロディもすばらしい。今でも忘れません」と哀愁を帯びた旋律を懐かしそうに口ずさんだ。
「元和偃武(げんなえんぶ)の花の香の にほひ栄(は)えつつ九十年」で始まる歌詞は28番まであり、元禄赤穂事件の物語をそのまま描いた内容。1~7番が浅野内匠頭切腹までの「序章」、8番以降が城明け渡しまでの「第一章-赤穂-」となっている。小冊子はB6判28ページで1頁に1番ずつ縦書きで歌詞を活版印刷。各頁下段の脚注で難解な語句を解説している。発行日は「昭和18年2月4日」で義士の命日に合わせたとみられる。
昭和9年から19年まで同校で国語を教えた松井利男さん(1910-87)の作詞で、やはり同校で音楽教諭だった北原雄一さん(1910-86)が曲を付けた。有年牟礼生まれの松井さんは姫路商業高の初代校長、兵庫県教委教育次長などを歴任。御崎小、赤穂中、坂越中の校歌も作詞した。北原さんは岐阜県付知町出身で和歌山県教委教育次長、四国女子短大音楽科教授などを務めた。三女・ゆりさん(67)=和歌山市=によれば、生涯に手掛けた曲は童謡、校歌、オペレッタなど約1300曲に上るという。
昭和15年春に入学した18回生の記憶によれば、「入学した年から歌っていた」、「新しい歌詞が出来るたびに中央廊下の大黒板に先生が板書していた」という。北原さんが異動で同校を去った昭和14年5月までに一部が出来上がり、その後に歌詞を追加していったのだろう。しかし、太平洋戦争の戦況が悪化の一途をたどり、生徒らは勤労奉仕に駆り出され、出征していった教諭も少なくなかった。「義烈行」を歌う余裕は次第に失われていった。
小冊子は高女1年のときに松井さんの担任クラスだった御崎の米谷田鶴子さん(85)=19回生=が大切に保管していた。また、一学年上の釣船愛子さん(86)=若草町=がガリ版刷りの楽譜を持っていることがわかった。数年前、病気で体調を崩した同級生の藤田澤子さん(86)から「宝物を渡します」と託されたという。
9月下旬、米谷さんと同期の船曳和子さん(85)=中広=、柴田高子さん(84)=加里屋=、杉本典子さん(85)=上郡町上郡=が本紙の依頼に応じて集まった。3人で声を合わせて「義烈行」を歌い、女学校時代を回顧。松井先生の国語の授業が大好きだったこと、毎月14日に全校生徒で大石神社へ参拝したことなど思い出話に花を咲かせた。
小冊子が28番で終わっていることについて、松井さんの長男で京都府立大学名誉教授の利彦さん(77)は、「本来は、京都・山科、江戸へと続く壮大な構成であったと思われますが、戦時色が強まる中、父が詠みたい叙事詩はもう作れないと判断し、キリをつけるつもりで冊子を出版したのではないでしょうか」と推測。「70年も前に作った歌を今でも覚えていてくれることを、父はとても喜んでいるはず」と話している。
掲載紙面(PDF):
2013年10月12日(2057号) 1面 (8,327,536byte)
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GHQの言論統制で戦後に封印されながらも、青春時代の大半を戦争で失った生徒たちが「義烈行を歌ったことが一番の楽しかった思い出」と口を揃える“幻の名曲”。「歌詞もメロディもすばらしい。今でも忘れません」と哀愁を帯びた旋律を懐かしそうに口ずさんだ。
「元和偃武(げんなえんぶ)の花の香の にほひ栄(は)えつつ九十年」で始まる歌詞は28番まであり、元禄赤穂事件の物語をそのまま描いた内容。1~7番が浅野内匠頭切腹までの「序章」、8番以降が城明け渡しまでの「第一章-赤穂-」となっている。小冊子はB6判28ページで1頁に1番ずつ縦書きで歌詞を活版印刷。各頁下段の脚注で難解な語句を解説している。発行日は「昭和18年2月4日」で義士の命日に合わせたとみられる。
昭和9年から19年まで同校で国語を教えた松井利男さん(1910-87)の作詞で、やはり同校で音楽教諭だった北原雄一さん(1910-86)が曲を付けた。有年牟礼生まれの松井さんは姫路商業高の初代校長、兵庫県教委教育次長などを歴任。御崎小、赤穂中、坂越中の校歌も作詞した。北原さんは岐阜県付知町出身で和歌山県教委教育次長、四国女子短大音楽科教授などを務めた。三女・ゆりさん(67)=和歌山市=によれば、生涯に手掛けた曲は童謡、校歌、オペレッタなど約1300曲に上るという。
昭和15年春に入学した18回生の記憶によれば、「入学した年から歌っていた」、「新しい歌詞が出来るたびに中央廊下の大黒板に先生が板書していた」という。北原さんが異動で同校を去った昭和14年5月までに一部が出来上がり、その後に歌詞を追加していったのだろう。しかし、太平洋戦争の戦況が悪化の一途をたどり、生徒らは勤労奉仕に駆り出され、出征していった教諭も少なくなかった。「義烈行」を歌う余裕は次第に失われていった。
小冊子は高女1年のときに松井さんの担任クラスだった御崎の米谷田鶴子さん(85)=19回生=が大切に保管していた。また、一学年上の釣船愛子さん(86)=若草町=がガリ版刷りの楽譜を持っていることがわかった。数年前、病気で体調を崩した同級生の藤田澤子さん(86)から「宝物を渡します」と託されたという。
9月下旬、米谷さんと同期の船曳和子さん(85)=中広=、柴田高子さん(84)=加里屋=、杉本典子さん(85)=上郡町上郡=が本紙の依頼に応じて集まった。3人で声を合わせて「義烈行」を歌い、女学校時代を回顧。松井先生の国語の授業が大好きだったこと、毎月14日に全校生徒で大石神社へ参拝したことなど思い出話に花を咲かせた。
小冊子が28番で終わっていることについて、松井さんの長男で京都府立大学名誉教授の利彦さん(77)は、「本来は、京都・山科、江戸へと続く壮大な構成であったと思われますが、戦時色が強まる中、父が詠みたい叙事詩はもう作れないと判断し、キリをつけるつもりで冊子を出版したのではないでしょうか」と推測。「70年も前に作った歌を今でも覚えていてくれることを、父はとても喜んでいるはず」と話している。
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投稿:うーん 2013年10月14日
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投稿:赤穂人 2013年10月14日コメントを書く