昭和の大嘗祭 92年前の道具見つかる
2020年11月21日
昭和の大嘗祭に乾鯛を献上した際の道具一式を寄贈した今井宏明さん=右から2人目=と「尾崎を語る会」のみなさん
大嘗祭は、天皇が即位後初めて行う新嘗(にいなめ)祭。全国各地から特産の農産物や海産物が「庭積の机代物」として集められ、昭和の大嘗祭では、兵庫県から小麦、米、栗とともに赤穂の乾鯛5尾が供納された。
乾鯛の調理から供納まで責任者を務めた尾崎の今井三造(1870−1938)が記録のために残した資料によると、丸山海岸にあった江戸時代の砲台跡を整地して石垣を組んで調理場を建築。鯛をさばく刃物(坂越村の田川三蔵・三次郎父子謹製)から献上箱に結ぶしめ縄(尾崎村の久野直吉父子謹製)に至るまで、ほぼすべての道具をこの行事のために特製した。三造をはじめ調理人たちは医師の健康診断を受け、氏神に参拝してから作業に取りかかった。調理から乾燥まで8日間かけて完成。大勢の村人たちに万歳で見送られ、船と車、鉄道を乗り継いで京都御所へ納めた。
道具一式は今井家の2階物置にあり、鯛の骨を抜いたとみられるピンセット、乾燥に使ったすのこ、乾鯛を運んだ唐ひつ(横約75センチ、奥行約45センチ、高さ約75センチ)や奉仕者がかぶった烏帽子などのほか、鯛の皮から外したうろこも捨てずに紙に包んだ状態で残されていた。三造の孫の宏明さん(76)が地元の歴史研究グループ「尾崎を語る会」(八幡昭海会長)に相談し、市へ寄贈することにした。
「大嘗祭への献上に携われたことは祖父にとって大変な栄誉だったのだろう」と宏明さん。寄贈を受けた同館は「村をあげての一大行事だったことがうかがえる。貴重な歴史資料として大切に保管したい」と話している。
<前の記事 |
掲載紙面(PDF):
2020年11月21日号(2393号) 3面 (9,473,567byte)
(PDFファイルを閲覧するにはこちらからAdobe Readerを入手してください。)
型絵染の人間国宝、没後30年展 [ 文化・歴史 ] 2014年01月20日バイオリン教室、第13期生募集 鳥井の坂に伝統の音頭響く [ 文化・歴史 ] 2014年01月13日13日に伝統の「曳きとんど」 [ 文化・歴史 ] 2014年01月08日歴史フォーラム「官兵衛と西播磨」 縁起の良い図柄、赤穂緞通展 [ 文化・歴史 ] 2014年01月07日時代感じる「お正月の民具」展 [ 文化・歴史 ] 2014年01月06日「義士を描いた画家」長安雅山、没後50年 [ 文化・歴史 ] 2013年12月28日郷土色豊か、伝統凧50点 [ 文化・歴史 ] 2013年12月25日長野の「義士踊り」赤穂で奉納 [ 文化・歴史 ] 2013年12月15日赤穂民報・第20回習字紙上展の作品募集 長野「中関義士踊り」14日演舞 「潔いと評判」討ち入り翌日の書簡 [ 文化・歴史 ] 2013年12月12日「四十七士の歌」市民合唱団がCD化 [ 文化・歴史 ] 2013年12月12日赤穂浪士の人員配置図をネット公開 [ 文化・歴史 ] 2013年12月11日
コメント
田川三次郎氏(俗称 ずれの鍛冶屋 屋号 地蔵鍛冶)…赤穂市最後の鍛冶職人ですね。
昭和60年頃が、最後の仕事されたと記憶しています。
0 0
投稿:いいね! 2020年11月21日コメントを書く