江戸中期の『造酒秘伝書』
2013年01月01日
柴原救長が筆写したとされる『造酒秘伝書』。奥は『酒永代覚帳』
秘伝書は当時の醸造ノウハウを詳細に記した虎の巻。2万1000点を超える「小西新右衛門氏文書」の中でも『酒永代覚帳』(享保2〜明治11)と並び、「酒造りの変遷を知る上で非常に貴重な史料」(同社)と位置付けられている。
同社の話では、秘伝書は20年以上前に古い酒蔵を取り壊した際に見つかり、「伊丹酒造家資料調査委員会」(委員長=柚木学・関西学院大教授)が昭和61年度から3カ年かけて行った史料整理で目録に追加された。
縦約27センチ、横約17センチで2センチほどの厚み。少なくとも100丁はあり、首尾同じ筆跡とみられる。「煮もと造り」「水もと造り」「菊もと造り」と3通りの酒母の造り方を記し、仕込みから絞り、火入れに至るまで克明に記述。長命宝酒、ほうめい(保命)酒といった薬酒の他、焼酎、梅酒、醤油などについても技術を書き留めている。
『酒永代覚帳』が「杜氏の業務日誌」(同社)であるのに対し、『造酒秘伝書』は「醸造の教科書」。一般には、自家の技術や流儀を伝承するためのものと思われるが、「先進地のすぐれた技術を学び、酒造技術を開発してゆくための手引書」(同調査委)だったとも考えられるという。
表紙の次頁には「摂州伊丹まんくわんしや伝」とある。「まんくわんしや」は江戸初期から栄えた池田の造り酒屋「満願寺屋」を指すと思われ、「作者は伊丹・池田あたりの地理に疎い遠国の人か」(伊丹市立博物館)などと推測されてきた。調査委が全文を翻刻し、巻末に「宝暦二壬申秋写之 柴原救長」と書かれていることはすでに判明していたが、「柴原救長」の素性はわかっていなかった。
柴原救長は赤穂藩蔵元を務めた柴原家の8代目。同家の名跡となる「幾左衛門」を最初に名乗った人物でもある。10代義民から12代安迪までが書き残した『年中用事控』によると、同家は寛文年間にはすでに酒造業に従事していたとみられ、宝暦13年(1763)の記録には、味噌、酢、醤油が取り扱い品目に加わっている。赤穂市有形文化財の「真光寺旧蔵・柴原家文書」を管理する市教委の話では、『造酒秘伝書』という名の文書は見当たらず、救長の筆跡も「今のところ確認できていない」という。酒蔵があった場所、酒の銘柄もよくわかっていない。
救長がどこで何を基に秘伝書を書き写し、どのような経緯で小西家の酒蔵に残ったのかは不明だ。柚木氏(故人)の調査によると、『摂州伊丹満願寺屋酒醤油伝』という題名の史料がたつの市の円尾(まるお)家に残っており、円尾家本よりも秘伝書の方が「内容はかなり豊富で、詳細である」(同氏)という。円尾家は天正15年(1587)に造り酒屋から龍野醤油を興した旧家で、柴原家と同じく赤松氏の流れを汲む一族。調査委の一員だった石川道子氏=神戸大文学部非常勤講師=は「酒造家の倒産、戦争などによる散逸で江戸期の酒造資料は稀少。筆写した人物が明らかになったことで、当時の酒造家同士のネットワークを調べる手がかりになるのでは」と話す。
小西酒造は平成12年、創業450周年プロジェクトとして、『酒永代覚帳』を基に元禄15年の寒造りを復刻した。現代と大きく異なる仕込み水の割合にとまどう中、『造酒秘伝書』に書かれてある方法でもろみの温度を管理したところ、無事に酒が出来上がったという。さらに秘伝書の記述を参考に梅酒も醸造した。
復刻酒は美しい琥珀色でまろやかな甘口。梅酒は奥行きのある風味に爽やかな余韻が香る。「温度計などの器具がない中で酒を醸した当時の人たちの知恵と工夫に感銘を受けた」とプロジェクトを指揮した秋田耕治・技術部長(55)。石川氏は「史料によって江戸期の人たちがどのような酒を飲んでいたのか再現できた。酒文化を知る上で大きな成果」と話している。
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