昭和初期の希少俳誌発見
2013年05月11日
大西平八郎さん(中)方で見つかった希少な俳誌
第10代『俳星』主幹の石田冲秋(おきあき)氏(67)=秋田市保戸野桜町=は、「私の手元にもコピーしかない。戦前の原本がまとまって残っているというのは大変珍しい」と貴重さを強調している。
発見されたのは、子規の直弟子の石井露月(いしい・ろげつ、1873〜1928)が明治33年に秋田で創刊した『俳星』の昭和8年から12年にかけての17冊、露月に師事した佐藤杏雨(さとう・きょうう、1876〜1962)が京都・福知山で刊行した『芳草』の12年から13年にかけての7冊。厚手の包装紙などで丁寧にくるんだ状態で自宅の押し入れに保管されていた。長い年月を経た紙は赤茶けているものの、頁の欠損や虫食いはなく、各号から拾い出した「鳴山」の句は計80句以上に上った。
明治郎さんは生まれ育った塩屋村で役場職員として勤務するかたわら、加里屋の随応寺で江西白牛禅師が主宰した俳句会「紅蓼会(こうりょうかい)」に入会。面倒見のよい社交的な性格で、周囲の人たちから「メエさん」の愛称で親しまれたという。
なぜ、県外の俳誌へ投句するようになったかは定かではないが、「日本派」と呼ばれた子規の流れをくむ露月、杏雨の俳風に強く傾倒したとみられ、自ら「赤穂俳星会」を設立したほど熱心だった。「豆の葉の裏白々と風薫る」「老僧の念佛長し十夜粥」といったこの時期の作品からは平和な日常がうかがえる。
しかし、昭和12年7月に盧溝橋事件で日中戦争が勃発すると、その半年前から青年学校の教練指導員を拝命していた明治郎さんは病身の妻、5歳の長男・平八郎さんら家族を残し、伍長として北支那方面へ出征。3年前に杏雨が立ち上げた『芳草』へ戦地から詠草を送り続けたが13年4月22日、徐州会戦へ向かう手前の激しい攻防で銃弾に倒れた。享年33歳だった。「闇汁にわれ命ある吹雪かな」「木枯や故山の夢のきれぎれに」。常に生死の境にある戦場の過酷さ、募る望郷の念を率直に表した句は読者の胸を打ち、多くの会員が寄せた追悼の句や文が誌面に掲載された。
遺句集(B5判48ページ)の編集には高校時代の同級生で俳諧に詳しい片山宏さん(81)=上仮屋南=、幼なじみの八木洋造さん(81)=塩屋=が協力した。『芳草』誌上で鳴山とともに“赤穂三羽烏”と人気を博した塩屋西の小川武夫さん(号・界禾=かいか)、加里屋新町の稲荷勇三さん(号・悠象=ゆうしょう)の句友2人=いずれも故人=についても略歴と一部作品を紹介。また、片山さんが執筆した赤穂の俳壇略史も盛り込んだ。
「自転車の後ろに乗せてもらったときの背中しか父の思い出がない」という大西さん。遺句集をまとめる過程で、「多くの友に囲まれて、趣味の俳句を楽しむ幸せな父の姿」も想像できるようになった。「句集を出すことなく、この世を去った父への供養にもなったように思います」と静かに話した。
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掲載紙面(PDF):
2013年5月11日(2037号) 1面 (9,946,589byte)
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