「義士を描いた画家」長安雅山、没後50年
2013年12月28日
赤穂出身の画家で義士研究家でもあった長安雅山(本名・孝之助)は明治8年(1875)に赤穂町加里屋で生まれた。祖父は幕末に活躍した絵師、長安周得。父・金学も画業を生業としたが、大病を患い、一家は困窮の中を備前、大阪へと移り住んだ。雅山は貧しさに耐えながら、祖父が残した粉本で絵の修練に励んだ。
19歳のとき、日本画の巨匠、橋本雅邦(1835~1908)の「龍虎図」「釈迦十六羅漢図」を目にして深い感銘を受け、弟子になることを心に誓う。家計を支えた兄が若くして死去し、母と父も亡くなって孤独の身となった雅山は22歳で単身上京。何度門前払いされてもあきらめずに通い続け、晴れて入門を認められた。
各種展覧会で入賞を重ねたが、審査や売名にとらわれた画壇の風潮に見切りをつけ、50歳を過ぎたあたりで出品を取り止めた。以降は自身の画道を極めることに没頭。赤穂義士を題材にした作品も多く手掛けた。いずれも常に史料文献を基にし、できる限り史実に即して描く姿勢を貫いた。
そうした作品の一つに、討ち入り装束の四十七士を一人ずつ色紙に淡彩した「赤穂義士像画」(赤穂大石神社蔵)がある。衣装から武具まで史料文献に基づき、さらに日本史学者の指示を仰いで構図を決定。2度のやり直しを経て数年がかりで描き上げたという渾身の作で、澄んだ画質から義士の気迫や息づかいが伝わってくる。
雅山は大変な酒豪である一方、茶の湯や謡、和歌なども楽しみ、交友関係も広かったという。昭和38年(1963)12月28日、東京都内の自宅で88歳の生涯を終えた。台東区谷中の全生庵に墓がある。
掲載紙面(PDF):
2014年1月1日・第2部(2069号) 4面 (8,697,268byte)
(PDFファイルを閲覧するにはこちらからAdobe Readerを入手してください。)
19歳のとき、日本画の巨匠、橋本雅邦(1835~1908)の「龍虎図」「釈迦十六羅漢図」を目にして深い感銘を受け、弟子になることを心に誓う。家計を支えた兄が若くして死去し、母と父も亡くなって孤独の身となった雅山は22歳で単身上京。何度門前払いされてもあきらめずに通い続け、晴れて入門を認められた。
各種展覧会で入賞を重ねたが、審査や売名にとらわれた画壇の風潮に見切りをつけ、50歳を過ぎたあたりで出品を取り止めた。以降は自身の画道を極めることに没頭。赤穂義士を題材にした作品も多く手掛けた。いずれも常に史料文献を基にし、できる限り史実に即して描く姿勢を貫いた。
そうした作品の一つに、討ち入り装束の四十七士を一人ずつ色紙に淡彩した「赤穂義士像画」(赤穂大石神社蔵)がある。衣装から武具まで史料文献に基づき、さらに日本史学者の指示を仰いで構図を決定。2度のやり直しを経て数年がかりで描き上げたという渾身の作で、澄んだ画質から義士の気迫や息づかいが伝わってくる。
雅山は大変な酒豪である一方、茶の湯や謡、和歌なども楽しみ、交友関係も広かったという。昭和38年(1963)12月28日、東京都内の自宅で88歳の生涯を終えた。台東区谷中の全生庵に墓がある。
<前の記事 |
掲載紙面(PDF):
2014年1月1日・第2部(2069号) 4面 (8,697,268byte)
(PDFファイルを閲覧するにはこちらからAdobe Readerを入手してください。)
[ 文化・歴史 ]
高校生が自作のドレスでショー開催へ 三木露風と交流あった赤穂生まれの俳優 [ 文化・歴史 ] 2024年08月15日赤穂市美術展 7部門で作品募集 市民合唱団の定期演奏会 11日にハーモニーH 第41回赤穂民報習字紙上展の入賞者 生活の中にある美術 89歳男性がアートギャラリー 5年ぶりに合同合唱も「フェスタ・アルモニカ」 [ 文化・歴史 ] 2024年07月28日世界最大級のレプリカも「三葉虫化石展」 [ 文化・歴史 ] 2024年07月28日愛着ある故郷描く 米寿の水彩画展 [ 文化・歴史 ] 2024年07月20日土器に見る「炊飯の歴史」 有年考古館で企画展 [ 文化・歴史 ] 2024年07月20日刷毛の跡までリアルに 埴輪ミニチュア [ 文化・歴史 ] 2024年07月12日赤穂ゆかりの作家中心に40点「未公開収蔵品展」 [ 文化・歴史 ] 2024年07月01日秋祭りの御神米 子どもたちが「お田植え」 コンセル・ヌーボ第40回定期演奏会 16日にハーモニーH 元赤穂書道会長の故新家一夫さん回顧展 [ 文化・歴史 ] 2024年06月03日
コメントを書く