忠臣蔵のふるさと・播州赤穂の地域紙「赤穂民報」のニュースサイト
文字の大きさ

赤穂民報


  1. トップページ
  2. 文化・歴史
  3. 記事詳細

京丹後の旧家に「坂越の船祭」絵巻

 2014年09月06日 
京丹後市の豪商に伝わっていた「坂越の船祭」の海上渡御を描いた絵巻
 和船の船団が一列縦隊で粛々と湾を巡る伝統的祭礼行事「坂越の船祭」の海上渡御の様子を100年以上前に描いたとみられる絵巻が京都府北部の京丹後市で見つかった。
 赤穂市教委はこれまでに確認されている海上渡御の場面を描いた明治期以前の絵巻4点と併せ、企画展示「描かれた赤穂の祭り―神と仏の風景めぐり」(9月19日〜11月3日、有年考古館)で一堂に展示する。
 京丹後市教委によると、絵巻は江戸時代に金融業などで豪商として栄えた稲葉本家から平成13年に旧久美浜町へ寄贈された約3万点の資料の中にあった。同家12代・市郎右衛門英裕(1846−1915)の三女・浜菜(1879−没年不詳)が坂越の奥藤家に嫁いでおり、その関係で渡ったものと思われる。市町村合併で資料を引き継いだ同市が今年1月まで開催した所蔵品展で初公開。「坂越の船祭映像記録監修委員会」の西岡陽子委員長(大阪芸術大学教授)が目に留めた。
 絵巻は紙本着彩1巻で大きさは縦25・8センチ、横229・2センチ。作者、制作年代は不詳。2艘の櫂伝馬を先頭に、獅子船−頭人船7艘−衆僧船−楽船−神輿船(脇船あり)−供奉頭船−歌船を画面の右から左へ進む向きで描いている。船に立つのぼり旗には「正一位大避大明神」「大避大明神」の文字が見える。
 赤穂市教委によると、「坂越の船祭」の海上渡御を描いた絵巻はこれまでに個人蔵を含めて4点が確認されている。そのうち、弘化2年(1845)に「奥谷直堂」が描いた一巻(奥藤利文氏所蔵)が京丹後本と同じく、船の進行方向が左向きに描かれ、船団の構成も一致した。
 絵巻に描かれた船団の隊列は衆僧船と供奉頭船を除けば種類、順番は現在の祭礼と変わりなく、生浪島堯・大避神社宮司(71)とともに現地調査に訪れた「坂越の船渡御祭保存会」の篠原明会長(78)は、「祭礼の伝統と形式が脈々と守り継がれていることを示す一つの証。一方で櫂伝馬の漕ぎ手は今よりも6人多い16人が乗っており、祭りの変遷を知る上でも貴重」と話している。
<前の記事


掲載紙面(PDF):
2014年9月6日(2102号) 1面 (13,020,641byte)
 (PDFファイルを閲覧するにはこちらからAdobe Readerを入手してください。)


コメントを書く

お名前 (必須。ペンネーム可):

メールアドレス (任意入力 表示されません):

内容 (必須入力):

※コメントは投稿内容を赤穂民報社において確認の上、表示します。
投稿ルールを遵守できる方のみご投稿ください。

4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14

今週のイベント・催し
23
(月)
 
24
(火)
25
(水)
26
(木)
27
(金)
 
28
(土)
 
29
(日)

最新のコメント

  • 「今も昔もボール追う子の目は同じ」尾崎野球少年団50周年←元同級生39(11/23)
  • JR播州赤穂駅「みどりの窓口」11月末で廃止←市民(11/23)
  • JR播州赤穂駅「みどりの窓口」11月末で廃止←不満です(11/23)

各種お申込み

以下より各お申込み、資料請求フォームにリンクしています。ご活用下さい。

スマホサイトQRコード

スマホ用URLをメールでお知らせ!
e-mail(半角入力)


ドメイン指定受信をされている方は「@ako-minpo.jp」を指定してください。

閉じる
中村唯心堂 中道工務店 矢野防水工業 赤穂メモリアルホール 野中砂子土地区画整理組合 花岳寺 兵庫県警
閉じる
中村唯心堂 中道工務店 矢野防水工業 赤穂メモリアルホール 野中砂子土地区画整理組合 花岳寺 兵庫県警