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赤穂の昔話・第30話「とんぼ塚」

 2021年10月30日 
切り絵=村杉創夢
 むかし、有年原の田圃の中に、小さな古墳がありました。あまり小さな古墳なので、村人のなかには古墳であることを知らない人すらいました。

 黄色く色づいた稲穂が、黄金色に波打つ秋の晴れた夕方のことです。とんぼが、どこからともなく一匹、また一匹と、この古墳をめざして飛んで来ました。その数は次第に増し、何百匹、何千匹となり、夕日に羽根をきらきら光らせながら、古墳の上で輪をえがいて飛びまわりました。

 そのうち、一匹のとんぼが、スーッとこの古墳のなかへ消えていきました。

 夕日が西の山に沈み、夕焼け空が消えていくころ、あれだけ多く飛んでいたとんぼたちは、一匹残らず古墳のなかに消えてしまいました。

 とんぼは、その次の年も、また次の年も、古墳にやって来ました。このようなことから誰言うとなく、「とんぼ塚」と呼ぶようになりました。

 とんぼ塚の近くを流れる矢野川は、少し雨が降ると氾濫し、田畑を荒らしました。川が氾濫するたびに、少しずつ古墳の土が流され、とんぼ塚はますます小さくなりました。とんぼ塚が小さくなるたびに、飛んでくるとんぼの数も減り始めました。

 秋の長雨は、何日も続き、とうとう大洪水になりました。田畑は荒され、多くの家屋が流され、小さな古墳も流されてしまいました。

 古墳が流されてしまったその年から、とんぼは一匹も飛んで来なくなりました。

 村人たちは、「あの、何百匹、何千匹のとんぼたちは、どこへ行ってしまったのか」と、不思議でなりません。

 いつとはなしに、「とんぼ塚」の話が村人の口から消えてしまい、今は、もう誰も、「とんぼ塚」がどこにあったか、知る人もいません。(赤穂市教育委員会刊『赤穂の昔話 第二集』・「とんぼ塚」より)
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掲載紙面(PDF):
2021年10月30日号(2436号) 3面 (6,555,227byte)
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