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赤穂の昔話・第19話「尾崎の八幡さんの頭人」

 2020年10月11日 
 
 むかしむかし、不幸なことに日本が三韓(現在の韓国)と戦争をしていたころのお話です。時の天皇であった仲哀天皇が戦で死んでしまったため、后であった神功皇后が指揮をとることになりました。皇后は身重でしたが、船団を率いて三韓へ出発することにしました。
 ところが、旅の途中で産気づき、家来たちは「どこかに船を着けなければ」と、船足を速めて適当な土地を探し始めました。そして、尾崎の岩に船を着けました。
 皇后は、その岩の上で男の子を産みましたが、戦に行かねばなりません。赤ん坊を里人に預けて三韓へ向けて再び出発しました。
 戦が終わり、皇后は預けた我が子を連れ戻そうと、再び尾崎の岩に船を着けました。しかし、岩の上にはたくさんの兎が遊んでいるだけで赤ん坊の姿は見えません。
 「我が子はどこへ行った。我が子は」
 「皇子はどこだ。皇子をさがせ」
 皇后と家来は赤ん坊を探しました。家来が兎の群れの中に入ってみると、そこに一人の男の子が兎と仲よく遊んでいました。
 「皇子がいたぞー。兎と仲よく遊んでいましたぞー」
 喜びのあまり、家来は皇子を肩車にして、大声をあげながら皇后の前まで行きました。兎たちは肩車された皇子のまわりをピョンピョンと跳ねながらついていきます。
 この皇子が後の応神天皇です。尾崎の八幡さんは、この応神天皇をおまつりしています。秋まつりの頭人行列で稚児を肩車して練り歩き、供人が大声をあげて、おもしろい仕草をするのは、この伝承を基にしたものだと伝えられ、船を着けた岩は「祝詞岩」の呼び名で今も宝崎神社の境内にあります。(赤穂市教育委員会刊『赤穂の昔話 第一集』・「尾崎の八幡さんの頭人」より)=切り絵・村杉創夢
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掲載紙面(PDF):
2020年10月10日号(2388号) 2面 (9,169,319byte)
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